ロッテデパートは朴大統領が重光に与えた最後のプレゼント

 ホテルは無事に全館開業したが、デパートはすんなりとはいかなかった。

 市に申請していたホテルの付属建物の用途変更、前述したように「外国人に向けたショッピングセンター」を「デパートの賃貸事務室」に変更する許可申請書を提出したところ、ソウル市の関係部署は騒然となった。ソウル市は当時、「江北(カンブク)地域の人口集中抑制策」を行政課題に掲げ、ソウル大学まで江南(カンナム)に移転させたほどで、江北に立地するロッテホテルにデパートを新設するなど論外だったからだ。

 ところが、ソウル市職員が奇抜なアイデアを捻り出した。実際にはデパートでも、あえてデパートとは明記せずに、ショッピングセンターとしたまま、デパートを運営するというものだ。両者の商品構成にそれほど違いはなく、ショッピングセンターが小売店の集合体なのに対し、デパートは売り場を一括管理すること以外に大きな違いはないからだ。ホテルロッテはこのアイデアに従い、「デパートの許可申請書」を「ショッピングセンターの許可申請書」に変更して再提出した。

 この申請は朴大統領の裁可を受け、すぐに市としての許可が出され、ロッテ側に通達されたのは79(昭和54)年10月26日のことだった。これでロッテはデパート参入のお墨付きが得られた。

 この10月26日は重光にとっても、韓国そして韓国国民にとっても衝撃的な事件のあった日として記憶されることになる。この日の夜、朴大統領がKCIA部長の金載圭(キム・ジェギュ)によって射殺されたのだ。朴は享年61。あっけない最期だった。

 重光は大きな衝撃を受けた。文字通り頭を抱えてしばらく微動だにしなかった。日韓国交正常化の舞台裏で活動した頃から、韓国に自ら進出して以降も含めて20年近くの間、韓国側のトップはずっと朴だった。もし大統領の裁可が1日でも遅れていたら、どうなっていたことだろう。前出の孫楨睦は自身の著者で、このデパート認可をこう書き記している。

「ロッテショッピングセンターは、朴大統領が重光武雄に与えた最後のプレゼント」

 ロッテデパートは当初予定では78(昭和53)年9月に開業予定だったが、ホテル同様に工事の遅れもあって、1年3カ月も開業が遅れることになった。しかも地元の多くの百貨店が、ロッテ百貨店の売り場の計画面積が他のデパートの2~3倍と広いことと、“外資”の国内流通業への進出に強く反発し、建議書「ロッテ百貨店建設反対」を連名で青瓦台(大統領府)に提出した。ソウル市も“外資”問題は放置できず、別途国内法人を設立せよと命じた。11月15日、重光個人の全額出資で、韓国法人ロッテショッピング株式会社を設立した。これまで免除されていた各種税金もこのときに納付した。

 紆余曲折を経て、79(昭和54)年12月17日、ロッテ百貨店(登記上はロッテショッピングセンター)はオープンにこぎ着けた。この日の正午、重光夫妻らによるテープカットのあと、初日は店内だけで約10万人が訪れ、付近一帯は、入店できなかったその何倍もの人でごった返した。その後の100日間で来店客1000万人超という前代未聞の記録を樹立している。

 ホテルとデパート、言葉を変えれば観光と流通を同時に推進していく「観光流通」という重光の掲げた戦略が韓国に定着し始めたのは、ロッテグループの観光流通事業の集大成である大型観光流通センター「ロッテワールド」の建設が進められた80年代後半からであった。次回は、韓国ロッテグループが成し遂げた「観光流通」を中核とした事業戦略を取り上げる。

<本文中敬称略>