さて、日比谷焼打ち事件を機に大きく変わったのが、警察の姿勢である。これまで権力で大衆を押さえつけていたが、国民に抜刀したことを反省し、「それまでの強権的・強圧的な取り締まりを改めて」、「『警察の民衆化、民衆の警察化』が推し進められ」「青年団・在郷軍人会などを基盤に、安全組合・自衛組合・保安組合といった自警組織が、警察の指導のもとに各地域でつくられ」「警察機能が地域社会のなかに浸透していった」(藤野裕子著『民衆暴力―一揆・暴動・虐殺の日本近代』中公新書)とされる。

 ここでも在郷軍人会が大きな力を発揮しているのだ。さらに藤野氏は、「日露戦後の日本には、都市暴動という新たな形の民衆暴力が湧き上がり、近代国家の統治にほころびが見えた。これに対応して、軍隊・警察という国家の暴力装置を地域社会の内部に浸透させるような再統合が図られた。準警察・準軍隊の組織が地域に恒常的に存在するようになった」(前掲書)と、日比谷焼打ち事件の画期性を指摘している。

 つまり、日比谷焼打ち事件を契機に、新聞が生み出した暴力的大衆が巨大な政治力を持つようになり、同時に地域に軍隊・警察という暴力装置が浸透し、日本の軍国主義化への道筋をつくったのである。