人はそれぞれの生涯の中で、ちがった時期にちがった形でこのような壁に突きあたり、その威力を思い知る。このような悲しみと苦しみに満ちた人生は生きるのに値するかと。自分はこれから何を生きがいにして生きていったらよいのかと。

 時代が変わり社会のしくみがどのように改変されようとも、人生のこの面は取りのぞくことができないだろう。学問や社会政策の進歩によって、病気や老いや死の脅威が遠ざけられたとしても、それは相対的なことでしかないのである。

◇生きがいを失った人の心象世界

 精神的打撃を急に受けた時、人の心の世界は突然「音を立てて」「ガラガラと」崩れ去り、「こなごなに」壊れてしまう。日本のハンセン病患者も英国の文豪カーライルも、同様にそう表現している。いわゆる足場の喪失が、単なる文化の問題ではなく、人間性そのものに根ざす体験の問題であることがわかるだろう。

 足場が失われることは、その世界を支える柱となっていた価値体系も崩れ去るということだ。もはや何のために生きていくのか、その判断基準もわからなくなる。この価値体系の崩壊は、感情や欲求や知覚など、生体験のあらゆる面に影響を及ぼす。疎外感もこうしたところから理解できる。

 生きがいを失った人は、みな一様に孤独になる。人生の明るい大通りからはね出され、それまで暮らしていた平和な世界は急に遠のく。にぎやかで忙しそうな生活は自分と何の関係もなくなり、仲間外れとなる。自分の所属している集団からの疎外感は、やがて人生全体からはみ出しているという感じを生む。何からも必要とされていないと感じる精神状態である。

◆生きがいの再発見
◇自殺を踏みとどまらせるもの

 生きがいを失い、絶望と虚無の谷底へ落とされた人の多くは自殺を考える。しかし、自殺未遂者の大多数(80%)は後で「死ななくてよかった」と言い、大部分(75%)がその理由として「心がまえが変った」と述べた調査がある。

 アメリカの哲学者ウィリアム・ジェイムズは、次の3つのものによって自殺を踏みとどまることができるはずだと述べている。第一は単純な好奇心である。明日の新聞には何が載るか、次の郵便で何が来るかを知るためだけに、自殺をあと24時間のばすことができる。第二は憎しみや攻撃心であり、自分をひどい目にあわせるものに対して戦おうという感情に支えられる。第三は名誉心で、自分という存在のためにこれまでどれだけの犠牲が払われてきたかを考えると、自分もまた自分の分を果たそうという気持ちが湧くという。

◇新しい生きがい

 生きがいを失った人が、苦悩の中でやっと運命と和解できたとする。しかし新しい生きがいを見出せなければ、渾沌とした世界に低迷し続けることになるだろう。かれらはただ、自分の存在が誰か、何かのために必要だと、強く感じさせてくれるものを求めてもがいているのである。