この方向転換は周囲から狂気の沙汰と思われていたが、シュヴァイツァの価値基準からいえば、使命の遂行が最優先事項であった。使命感に生きる人にとって、問題は自己に忠実な方向に歩いているか否かであり、これに反すれば安らかに死ぬことすら許されないのである。

◆生きがいを求める心
◇個性的な自我の欲求

 生きがいを求める心はどのようなものからできているのだろうか。精神的要素から切り離された、単なる生物学的欲求の満足は生きがい感を生むのだろうか。

 食通の人は「美味しいものを食べると生きがいを感じる」と言うが、この場合はすでに欲求の「精神化」が行われている。このとき食欲は審美的、社会的なさまざまな欲求や観念と結びついて、精神領域の大きな部分を占めているのだ。単なる性の欲求の満足についても同じことがいえる。

 アメリカの精神科医サリヴァンによると、人間の基本的欲求は生物学的な満足と社会学的な安定であるという。もし生きがいへの欲求が社会的適応と安定であるなら、それが満たされれば生きがい感は生まれるはずである。しかし実際は必ずしもそうではなく、生きがいを求めてわざわざ社会的な安定を破る人さえいる。そう考えると、生きがいへの欲求とは「個性的な自我の欲求」なのであろう。

 アメリカの社会心理学者キャントリルによると、人間の最も普遍的で本質的な欲求は「経験の価値属性の増大」を求める傾向にあるという。人はこの欲求が満たされた時「高揚」を感じるが、その感じの判断は本人のみによって行われる。つまり、いかに「成功」であるように見えても、本人が「経験の「高揚」を感じなければ」成功ではないということである。

◇反響への欲求

 生きがいという言葉には「はりあい」という意味が含まれている。はりあいを求める心は反響への欲求の一部である。

 アメリカの人類学者リントンは、他人からの情緒的な反応を人間の基本的欲求の一つとしている。子供の人格は人々の相互関係の中で形づくられる。他人という存在があって、他人との共同生活の中で少しずつ自我の輪郭がはっきりと意識されていくのだ。

 他人からの反響は、自分の存在を受け入れてもらう性質のものでなくては、生きがい感は生まれにくい。「社会的所属への欲求」や「承認への欲求」も反響への欲求から出ているものといえる。