米国の経営手法を文化の違いを理解せずに導入し、
日本企業の強みが失われた

トヨタの根底に脈々と流れる<br />挑戦的なある文化とは?稲田将人(いなだ・まさと)
株式会社RE-Engineering Partners代表/経営コンサルタント
早稲田大学大学院理工学研究科修了。神戸大学非常勤講師。豊田自動織機製作所より企業派遣で米国コロンビア大学大学院コンピューターサイエンス科にて修士号取得後、マッキンゼー・アンド・カンパニー入社。マッキンゼー退職後は、企業側の依頼にもとづき、大手企業の代表取締役、役員、事業・営業責任者として売上V字回復、収益性強化などの企業改革を行う。これまで経営改革に携わったおもな企業に、アオキインターナショナル(現AOKI HD)、ロック・ フィールド、日本コカ・コーラ、三城(現三城HD)、ワールド、卑弥呼などがある。2008年8月にRE-Engineering Partnersを設立。成長軌道入れのための企業変革を外部スタッフ、役員として請け負う。戦略構築だけにとどまらず、企業が永続的に発展するための社内の習慣づけ、文化づくりを行い、事業の着実な成長軌道入れまでを行えるのが強み。著書に、『戦略参謀』『経営参謀』『戦略参謀の仕事』(以上、ダイヤモンド社)、『PDCA プロフェッショナル』(東洋経済新報社)、『PDCAマネジメント』(日経文庫)がある。

 そもそも、日本企業には、

 ・言葉にしなくても、空気を察し、全体最適を意識して動く
 ・市場への価値の提供が最優先であり、当たり前と考える事業観
 ・国民性とも言える、目の前のことに真面目に取り組む勤勉さ

 などの良い面があり、上手に環境を整えれば、チームワーク良く、個々が目の前の課題に知力を尽くして取り組む底力があります。

 米国の先進的な経営から学ぼうとの風潮は、1980年代に流行ったTQCの導入で社内での風通しが良くなる事例が増えたあたりから特に強くなっていきました。

 TQCは、もともとはW・E・デミング博士が唱えた企業経営のあるべき論を、日本科学技術連盟(日科技連)が博士と共に日本企業に向けて熱心に指導を行い、広がっていったものです。

 その後、TQCに取り組む企業数が増え、日本経済の成長をけん引しました。

 しかし企業数があまりに増えすぎたために指導教官の質が伴わずにTQCのブームが沈静化した、そのタイミングで日本はバブルの好景気を迎えました。そこに台頭してきたのが外資系の戦略系コンサルティング会社で、この時から米国発の経営理論やフレームワークなどの経営の道具立てがメジャーになっていったのです。

 TQCの展開においては日科技連は日本の優良企業で成功していた手法を参考にして、日本企業の文化にあった手法を展開しました。

 しかし当時、米国発の理論や道具立てを指導したのは、外資系のコンサルティング会社でした。そこに所属する、日本企業でのマネジメントの経験のない若いエリートの留学経験者たちは、ビジネススクールなどで学んだ米国企業の方法論を是として、悪気なくそのまま日本企業に根付いていた組織論を上書きしていきました。

 もちろん、彼らに日米両企業の勤務経験のあるものなどほとんどおらず、結果、背景が異なる方法論がそのまま組織に導入され、「和魂洋才」がうまく融合されないままに「米国式が正しい」と制度化され、やがて日本企業は低迷状態に入りそこから抜け出せない状況に陥っていったのです。

 彼らが展開した戦略論や組織論などは、すべて米国企業を前提としていたため、たとえば全社戦略を立案しても、現場側では当たり前のように「面従腹背」が起き、必ずしもうまく機能しない場合もありました。

 またそもそもですが、いわゆる米国式の経営理論の弊害は、80年代の当時から米国でも指摘されており、不振状態に苦しんでいた米国企業が90年代に果たした復活は、熱心にTQCに取り組んでいた日本企業から学んだ手法を取り入れた成果だったのです。

 つまり、企業力の強化に有効なかつての日本式経営の良い点を取り入れた米国は成長基調に戻り、米国企業が苦しんでいた頃の米国式経営手法を取り入れた日本企業は低迷状態に陥り、今もその状態が続いているのです。