個人的には、奈良で生まれ育った私にとって、古都の仏像は人生にとって何よりも必要なものである。焼けたら困る。芭蕉や良寛のような優れた感性はないので、具体的な仏像の姿を見て初めて抽象的な概念の存在に気が付く。

 中宮寺の半跏思惟坐像(弥勒菩薩)の造形によって、初めて時空を超えるイメージが湧き、慈愛の本質が感じられるのだ。私などはそこに意味を感じて終わりだが、昨今の目はしの利く頭のよい人たちは、仏像に見られるような概念を表象化したり具現化する技巧のエッセンスを集め、「○○思考」などという方法論に仕立て、ビジネスに応用したりもするだろう。

 安吾が、その抜け目ない「伝統」や「技巧」の活用を「否」というのか、それとも、そこにその人たちなりの必要性や合理性を認め「諾」というのかはわからない。少なくとも人間の放つエネルギーを感じ、ニヤニヤくらいはするだろう。

迷い多きコロナ時代を
生きぬく応援歌

「人間は、ただ、人間のみを恋す。人間のない芸術など、有る筈がない。」

 神出鬼没な戯作者のイメージで語られ、現実主義と理想主義、合理性と神秘性、多様な観点から変幻自在に多様な語りや評言を操る著者について的確に表現することは、文学の研究者ではない私の手には負えない。ただ、安吾の語りはいつも鋭く、厳しく、しかしとても温かく感じられる。

 本書も、語られているのは日本文化のはずなのだが、あたかも、私たちが迷い多きこの現代を生きるのに、なにをよすがにすればいいのかを示し、また、複雑な情報化社会の中で、どこに立ち返って物事を見、考えればよいのかを語ってくれている気がする、不思議な文体なのだ。

 コロナ禍の状況下、心が荒むことも多い今こそ読みたい、応援歌のような著作である。

(プリンシプル・コンサルティング・グループ株式会社 代表取締役 秋山 進、構成/ライター 奥田由意)