「ウィンテル」だったインテル
 国際分業への対応に出遅れた

「ウィンテル」という造語があるようにインテルは、米マイクロソフトの「ウィンドウズ」のソフトウエアを駆動する中央演算装置(CPU)のメーカーとして成長した。1990年代のインターネット革命によって、米国をはじめ世界でマイクロソフトのソフトウエアを搭載したパソコン需要が急拡大した。それは各国の経済運営の効率性を高めた。

 それを支えたのがインテルだ。インテルはマイクロソフトのソフトウエアにあったCPUの設計、開発、製造、販売までを一気通貫で仕上げる「垂直統合」のビジネスモデルを整備し、バリューチェーンを強化した。つまり、インテルはインターネット革命がもたらした半導体需要を取りこぼさないよう、川上から川下までの全工程を社内に封じ込め、先行者利得を手にした。

 しかし、徐々にインテルの競争優位性には陰りが生じた。特に、リーマンショック後、米アップルの「iPhone」をはじめとするスマートフォンが世界に普及した影響は大きかった。さらには米グーグルなどのIT先端企業も、最先端の技術を用いて生産される自社仕様の半導体を求め始めた。

 それは半導体産業の国際分業を加速させた。多くのIT先端企業がファウンドリー専業のTSMCにチップの生産を委託し、設計・開発と生産の分離が進んだ。2009年に米AMDが生産事業を分離してファウンドリー世界4位のグローバルファウンドリーズを設立したのは、その象徴だ。

 その間、基本的にインテルは自社生産を重視した。しかし、TSMCや韓国サムスン電子はファウンドリー事業に注力して、「ロジック半導体」の回路線幅を小さくする微細化を推進する一方、インテルは微細化に完全に出遅れた。