世界の「今」と「未来」が数字でわかる。印象に騙されないための「データと視点」
人口問題、SDGs、資源戦争、貧困、教育――。膨大な統計データから「経済の真実」に迫る! データを解きほぐし、「なぜ?」を突き詰め、世界のあり方を理解する。
書き手は、「東大地理」を教える代ゼミのカリスマ講師、宮路秀作氏。日本地理学会の企画専門委員としても活動している。『経済は統計から学べ!』を出版し(6月30日刊行)、「人口・資源・貿易・工業・農林水産業・環境」という6つの視点から、世界の「今」と「未来」をつかむ「土台としての統計データ」をわかりやすく解説している。

お茶の世界史…「植民地貿易」の残酷な歴史とは?Photo: Adobe Stock

お茶から学ぶ「戦争・貿易・文化」

 2019年の世界の茶の生産量は、中国、インド、ケニア、スリランカ、ベトナム、トルコ、インドネシア、ミャンマー、イラン、バングラデシュが上位国です。

 元々、茶は中国が原産地とされています。発酵の度合いによって種類が異なりますが、緑茶、白茶(パイムータンなど)、青茶(ウーロン茶など)、紅茶、黒茶(プアール茶など)、黄茶(クンサンギンシンなど)はすべて同じ茶葉から作られます。

 中国では広東語の「チャ(cha)」、福建語の「テー(te)」と地域によって名称が異なります。

 古代中国では、茶と馬を交換する習慣があったため「チャ」という名称は陸路で伝わっていきました。一方、福建省のアモイ(厦門)は茶の輸出港として栄えたこともあり、「テー」という名称は海路で伝わっていきました。

 ポルトガルだけは「チャ」が伝わりましたが、これは植民地だったマカオの影響です。戦国時代、日本の茶の湯文化に触れたポルトガル人はこれに驚愕し、ヨーロッパにその情報を伝えたとされています。

 ヨーロッパに最初に茶を持ち込んだのはオランダ人だといわれています。平戸で買った日本茶と、マカオでポルトガル人から買った中国茶だったそうです。江戸時代の日本は鎖国の中にありながら、オランダとは貿易が許されていました。その後オランダはインドに東インド会社を設立すると、茶の輸入を手がけ、それをヨーロッパへと輸出していました。

 最初はイギリスもオランダから茶を輸入していましたが、1669年にオランダからの茶の輸入を禁止して宣戦布告。第三次英蘭戦争(1672~1674年)へと突入します。

 イギリスはこれに勝利して中国貿易の利権を獲得すると、福建省のアモイを輸出拠点にして、イギリスが独占的に茶を輸入するようになりました。福建省から輸入していたこともあり、イギリスでは茶のことを「tea」というのです。