しかし時がたつにつれ、ふたつの世界大戦の影響もあり、政治が大きく影を落とすようになる。

 例えば、ミュンヘン大会テロ事件やアフガン戦争中の東西の出場ボイコット合戦だ。ヒトラー政権下ではベルリン大会が露骨な国威発揚に利用された。聖火リレーはこの時から始められ、後日そのルートをドイツ国防軍が侵攻のために使ったという逸話さえある。

オリンピックの「黒い輪」を
受け継いだバッハ会長

 最大のターニングポイントは1984年のロサンゼルス大会だろう。財政がひっ迫したIOCは米実業家で商売上手のピーター・ユベロスを大会組織委員長に抜てきし、企業スポンサーを認め、観客を呼べるプロ参加を解禁、人気競技優先し、テレビ放送権料やスポンサー企業から莫大な協賛金を集めたのだ。聖火ランナーまで有料だった。

 これを境に平和の祭典は世界最大のショービジネスと化したのである。

 当時、私は開会式を取材していた。抜けるような青空だった。ロナルド・レーガン米大統領による開会宣言、ジェット・パックを背負った宇宙飛行士によるスタジアム内の飛行、数え切れないほどのピアノによるラプソディ・イン・ブルーの同時演奏。ハリウッド顔負けの豪華な演出はメモリアル・スタジアムに集まった10万人の観客を魅了した。

 しかし、その華々しいスペクタクルはオリンピックが権力と金とクスリにまみれた商業イベントに堕落した虚飾の祭典だったのだ。

 ロス五輪は税金を使わず400億円の黒字で終了した。そのため「オリンピックはもうかる」との思惑から立候補都市が急増。過度な招致合戦によるIOC委員に対する接待や賄賂、より派手なパフォーマンスを狙った選手のドーピングなどの問題が表面化した。

 そんなオリンピック・ビジネスの頂点に立ってぜいたくざんまいで我が世の春を謳歌(おうか)していたのが国際スポーツの帝王で、国際オリンピック委員会(IOC)会長として21年間君臨したスペインのファン・アントニオ・サマランチだったのである。