彼のそばで甘い汁を吸っていた黒幕がいた。国際サッカー連盟(FIFA)会長であるブラジルのジョアン・アヴェランジェと、オリンピックの花形である陸上競技の世界を操るボス、イタリアのプリモ・ネビオロ国際陸上競技連盟(IF)会長である。彼らはオリンピック・マフィアとさえ呼ばれた。

 そんな「黒い輪」をサマランチから受け継いだのがベルギーのジャック・ロゲ会長であり、現在のドイツのトーマス・バッハ会長なのだ。米ワシントン・ポスト紙記者が彼のことをコラムで「ぼったくり男爵」と呼んだのもうなずける。

 そんな商業五輪の醜い裏舞台は2人の英国人ジャーナリストによって出版された『The Lords of the Rings(黒い輪)』(1992年)で余すところなく暴露されているから、興味のある方は一読をお勧めする。

大きな経済効果という幻想と
肥大化の弊害

 肥大化の弊害も現れた。ホスト国の政治家はオリンピックが大きな経済効果をもたらすと主張したが、大金を投じて建設した五輪競技会場やホテルなどは大会後に需要が激減し「負の遺産」として開催都市に重くのしかかった。2016年開催されたリオ五輪にいたってはスタジアムや五輪公園もすでに廃虚と化している。五輪開催に手を上げる都市が減っているのは当然だろう。

 2004年のアテネ五輪を取材したとき驚かされたのは報道陣の多さだった。世界のトップ・アスリートが集まるのだから当然といえばそれまでだが、テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、通信社などの記者や技術者が集まった市内の特設プレスセンターは、少し大げさに言えばデパートのバーゲン会場のようだったのである。

 調べてみたら、1912年のストックホルム大会のときのジャーナリストの数はわずか500人ほど。それがアテネでは1万2000人以上に膨れ上がっていた。加えて同じ数ほどのプロデューサーや放送技術者がいたから合計2万人以上。混雑は当たり前だった。

 参加選手の数は1万500人だから、選手1人に2人のマスコミがいた勘定になる。テレビメディアと五輪が今や運命共同体となっていることを如実に表す数字だ。

 バルセロナ大会で合計2万時間だった放送時間はシドニーで2万9600時間、そして世界から約300のテレビ局が集まったアテネでは3万5000時間に達した。これはもうテレビが五輪を乗っ取ったと言ってもいい。

「オリンピックは世界最大の広告宣伝媒体だ」

 バルセロナ大会の開会式などをプロデュースしたルイス・バセット氏は、そう言ってはばからなかった。