突然、告げられた進行がん。そこから、東大病院、がんセンターと渡り歩き、ほかにも多くの名医に話を聞きながら、自分に合った治療を探し求めていくがん治療ノンフィクション『ドキュメントがん治療選択』。本書の連動するこの連載では、独自の取材を重ねてがんを克服した著者の金田信一郎氏が、同じくがんを克服した各界のキーパーソンに取材します。今回登場するのは26歳のときに大腸がんが発覚し、手術や抗がん剤治療でそれを乗り越えて現役復帰したプロ野球選手・阪神タイガーズの原口文仁さん。第3回ではステージ3の大腸がんから現役に戻り、復活ホームランを放ったときの思いについて聞きました。がんの経験は原口選手をどう変えたのでしょうか。(聞き手は金田信一郎氏)

■原口文仁選手の「がん治療選択」01回目▶「26歳、突然のがん告知で頭が真っ白になった阪神タイガース原口文仁選手」
■原口文仁選手の「がん治療選択」02回目▶「手術、抗がん剤を乗り越えて現役復帰!阪神・原口文仁選手、執念のリハビリ」

がんステージ3からの復活ホームラン。その時、阪神・原口文仁選手が誓ったこと阪神タイガースの原口文仁選手(写真:阪神タイガース提供)

――2019年1月に手術を終え、2軍の試合に出場したのが5月のゴールデンウィーク明け。そこから1ヵ月後に、パリーグとの交流戦に入り、1軍に上がりました。千葉のZOZOマリンスタジアムで、原口さんはがんから復帰して試合に出場します。9回に代打として登場しますが、球場全体が湧き上がりましたね。ご本人としては、何を考えていたんでしょうか。

原口 まだ、監督が代打の交代を審判に告げていないのに、私がネクストバッターサークルに向かうと、球場全体が騒然としていました。

――球場全体が、奇跡の復活の瞬間を待っていたんですね。私もあの瞬間は、これまで見たことのない光景でした。そもそも敵地なのに、敵のファンも含めて、観客全員が湧き上がるような声援を送っていました。

原口 あれは想像していなかったですね。ネクスト(バッターサークス)に入った瞬間に、球場が湧き上がることって、ないですからね。あれは、やっぱりあの場にいないとわからない興奮というか、特別な感覚はありました。

――あのとき、何を思われましたか。

原口 「おっしゃ、舞台に戻ってきた」っていう気持ちですね。「また、ここから始めよう」と。ここがスタートだという気持ちです。

――相手のピッチャーは長身の外国人でしたし、ボールが速くて思いから、闘病明けの選手は簡単には打てないと思うんです。

原口 そうですね。だから、簡単に(ツーストライクに)追い込まれてしまって。なんとかくらいついていこうと思って、はい。そうしたら、本当に甘いボールが来たんで、打てましたけど。

――いや、甘いボールでもないと思いますけど。しかも、ほぼホームランに近い打球を飛ばしました。それで、外野手の頭を超えて、二塁ベースにヘッドスライディングしましたね。阪神ファンはもちろん、相手のロッテファンまで拍手と歓声に沸いていました。見たことのないシーンでした。

原口 すごく幸せでした。病気乗り越えて、本当にすばらしい奇跡を起こせたなと、自分でも驚いたんですけど。

――その数日後に、今度は日本ハム戦でサヨナラヒットを打って、1ヵ月後にはオールスターに選出されて、ホームランを打つ。まるで漫画のような復活劇でしたよね。どの場面が一番印象に残っていますか。

原口 どうですかね。節目、節目で結果が出たのは、僕の中でもすごく不思議な出来事の連続でした。本当に、病気から復活まで、多くの人に出会って、助けてもらってのことですね。オールスター戦も、最後の「プラスワン投票」で、ファンの方々に選んでもらって出場しましたし。そういう温かい目で見ていてくれたプロ野球ファンのみなさんの気持ちが、結果につながっていったんでしょうね。本当に僕は、みなさんに感謝しています。

――オールスター戦で打った球は、難しいボールだったと思うんですが。

原口 そうですかね。

――甘いボールではないですね。それをホームランにして、ベンチに帰ってきたら、セリーグのスター選手たちが立ち上がって原口さんを迎えていましたね。

原口 ベンチに原(辰徳)監督がいて、鈴木誠也選手がいて、みんなが総立ちでしたね。もう、みなさんが自分のことのように喜んでくれていたのが、本当に嬉しかったですね。

――がんを乗り越えたプロ野球選手の復活劇では、もっとも印象的なシーンでしょうね。原口選手の姿は、野球に興味がなかった人たちに対しても、幅広く日本の隅々まで、勇気を与えてくれました。

原口 やっぱり1軍の舞台で活躍しないといけないっていう思いは、僕の中でもありました。そういう意味では、最高の舞台で、見てくれていた人たちにいいものを届けられたかな、と思いました。

――その後も、がん患者へのさまざまな活動を続けていますね。2019年オフには小児がんのケア施設を訪れています。それが、がんの詳細を公表するきっかけになったそうですね。

原口 病気を抱えても頑張って生活している子どもたちを見て、勇気をもらいました。ご家族も一緒になって暮らしながら、がんを乗り越えようとしてる姿を見て、僕も考えることが多かったんです。

 院長先生と会った時に、「重いがんを患っている状況から戻ってきた人は、子どもたちに大きな影響を与える」「いろんな病気の人にとって励みになる」という話をしてもらったんです。それを聞いているうちに、重いがんだったことを打ち明けることを考えました。病気を詳しく発表することについては、賛否両論があると思います。でも、最後は自分で決めました。僕の経験をたくさんの人に知っていただいて、生きる希望や励みにつながれば嬉しいな、と思ったんです。

――手術後に、ステージ3Bと知らされたそうですね。実は、病状はかなり重かったわけですね。

原口 そうですね。それを聞いた時は、うわっと思いました。大腸がんが発覚しても、そこまで重くないだろうと勝手に思っていたので……。後になって、そこまで進行していたと聞いて驚きました。

――だからこそ、病状を明かすことで、多くの人が「自分も回復できる」と勇気づけられるんでしょうね。

原口 そうなってくれると嬉しいですね。自分の活躍が、誰かの勇気につながるとしたら、やりがいは大きいと思っています。