突然、告げられた進行がん。そこから、東大病院、がんセンターと渡り歩き、ほかにも多くの名医に話を聞きながら、自分に合った治療を探し求めていくがん治療ノンフィクション『ドキュメントがん治療選択』。本書の連動するこの連載では、独自の取材を重ねてがんを克服した著者の金田信一郎氏が、同じくがんを克服した各界のキーパーソンに取材します。今回登場するのは26歳のときに大腸がんが発覚し、手術や抗がん剤治療でそれを乗り越えて現役復帰したプロ野球選手・阪神タイガーズの原口文仁さん。第1回では原口選手がどのようにがんに気づいたのかについて聞きました。(聞き手は金田信一郎氏)

26歳、突然のがん告知で頭が真っ白になった阪神タイガース原口文仁選手阪神タイガースの原口文仁選手(写真:阪神タイガース提供)

――がんの闘病の中、原口選手の存在に勇気づけられました。大腸がんステージ3から回復して、プロ野球の阪神タイガースで1軍選手として活躍されている。それも、今シーズンは優勝を争う展開になっています。

原口文仁選手(以下、原口) チームがすごく雰囲気のいい中でゲームができています。たとえ負けても、今日は今日、明日は明日、という切り替えの速さもあります。とてもいいムードの中でプレーできていますね。

――原口選手の体調はいかがですか。

原口 今は問題もなく、順調に回復しています。

――闘病後の会見で、「これから5年間は半年ごとの検査する」とおっしゃっていましたが、その検査も着実にクリアされているんですね。

原口 着実にクリアしてきて、3年目に入りました。

――順調なんですね。5年というメドまであと2年です。引き続きの活躍を願っています。まずこの3年前、どう大腸がんを乗り越えたのか教えていただければと思います。がんが発覚する直前の2016年、月間MVP(最優秀選手賞)を獲得する活躍でした。オールスターでもホームランを放った。ところが、2017年の途中から調子を崩しました。その頃、体調にも異変を感じていたんでしょうか。

原田 「疲れているな」と感じていました。

――その疲れとは、どんなものだったのでしょうか。

原口 睡眠や休憩をしっかり取っても、疲れが取れなかったんです。眠気が続いていて、あくびも止まりませんでした。球場に来て体を動かんですが、すごく体が重くて、活力がわかない感覚でした。

――それで2017年のシーズンが終わって、特にメディカルチェックや人間ドックを受けずに、2018年のシーズンに入りました。

原口 2018年は前年よりも、さらに疲れやすくなっていて、眠気がひどくなっていったので、「シーズンオフに人間ドックを受けてみたい」という話は軽くしていたんです。シーズン中は試合で忙しくて、なかなか行けませんから。

――シーズン終了後、どこで人間ドックを受けたのでしょうか。

原口 知り合いに病院を紹介してもらったんです。「軽い気持ち」というか、「1回くらい受けてみようか」っていう感じでした。

 12月末に一度検査を受けて、この時、便に血が混ざっていたので、それで引っかかって、「追加で胃と大腸の内視鏡検査をした方がいい」という話になって、翌2019年1月に検査をしたところ、大腸がんが見つかったんです。

――その時、医師からはどう伝えられたんでしょうか。

原口 「原口さん、すぐにでもケアしてください。僕の所見からすると、これはがんですね」と、その場ですぐに言われました。

――どう受け止めましたか。

原口 驚きました。「まさか」という気持ちで頭が真っ白になりましたね。年齢的にも26歳と、まだ若かったですし。体を資本にした仕事をしているので、ある程度、体調管理にも気をつけながらやってきたつもりでした。26歳でがんになるとは、まったく想像もしていなかったので、告知されたときは本当に驚きました。

――両親や兄弟、親戚などに同じようながんになった方はいたんですか。

原口 そこまで近い家族で、がんになった人はいませんでした。だからこそ、自分事として捉えられませんでした。

――がんの告知を受けて、セカンドオピニオンを取ろうと思いませんでしたか。

原口 特にはありませんでした。告知していただいた先生に、その後も診ていただこうと思っていましたから。

――最初からいい先生に出会えたわけですね。

原口 そうですね。本当に恵まれていました。難しい判断もあったと思うんです。手術でも、いろんな先生や看護師さんに助けていただいて、言葉では表せないぐらいに感謝しています。
(2021年8月11日公開記事に続く)