突然、告げられた進行がん。そこから、東大病院、がんセンターと渡り歩き、ほかにも多くの名医に話を聞きながら、自分に合った治療を探し求めていくがん治療ノンフィクション『ドキュメントがん治療選択』。本書の連動するこの連載では、独自の取材を重ねてがんを克服した著者の金田信一郎氏が、同じくがんを克服した各界のキーパーソンに取材します。今回登場するのは26歳のときに大腸がんが発覚し、手術や抗がん剤治療でそれを乗り越えて現役復帰したプロ野球選手・阪神タイガーズの原口文仁さん。第2回では手術後、抗がん剤治療を受けながら復帰に向けたリハビリを重ねた原口選手の取り組みについて聞きました。(聞き手は金田信一郎氏)

■原口文仁選手の「がん治療選択」01回目▶「26歳、突然のがん告知で頭が真っ白になった阪神タイガース原口文仁選手」

手術、抗がん剤を乗り越えて現役復帰! 阪神・原口文仁選手、執念のリハビリ阪神タイガースの原口文仁選手(写真:阪神タイガース提供)

――手術前にがん罹患を公表しました。

原口文仁選手(以下、原口) 公表しない方法もあったと思います。いろいろな人に意見を聞きながら、自分でも考えたんですが、これだけ大きい病気にかかって、「復帰する」とはなかなか言い切きれませんでした。ただ、がんと戦っていることを打ち明けることで、同じ病気に罹った人やその家族に知ってもらったら、少しでも勇気を与えられるんじゃないかな、という思いがありました。それが、野球選手としての使命ではないかなと感じたんです。

――その時、胃がんから復活した広島東洋カープの赤松真人選手のことも頭に浮かびましたか。

原口 そうですね。一つのモデルになりましたよね。がんの場所は違いますが。

――そして、原口さんも手術を受けました。終わって意識が戻ってきた時は、どう感じましたか。

原口 その時、もう「助かった」という実感がありました。自分の中では、「新しい自分」になったような気持ちが一番にありました。

――手術の翌月から、早くもトレーニングも始めました。ただ、同時に抗がん剤4クールも開始された。身体的にきつくなかったですか?

原口 担当の先生が練習と治療をうまく両立するようなメニューを組み立ててくださったんです。手術後はちょうどプロ野球はキャンプ期間となり、僕は自宅療養という形になっていたので、まずは球団から支給してもらったゴムチューブやダンベルなどを使っての練習でした。やっぱり、手術の傷跡がくっつくまでは、激しい運動はできなかったので、チームとは別メニューで、少しずつ体を元に戻していったんです。3月に入って、チームがキャンプ地から帰ってきてから合流して、そこからトレーナーに練習メニューを作ってもらいました。

――トレーナーも、がんから戻ってきた選手に、どのくらいの負荷をかければいいのか、練習メニューを考えるのは難しかったでしょうね。前例がないでしょうから。

原口 はい。そういうところでは本当に、トレーナーと一緒に練習を模索しながら、やってきました。

――その時は抗がん剤治療も始まっていたんですよね。

原口 そうですね。でも、抗がん剤の副作用は、あまりなくて。よく言われる副作用に「吐き気」がありますけど、僕の場合は出なかったんです。でも、特定の食べ物にちょっと反応してしまい、唇がはれることもありました。

――しかし、抗がん剤をやりながら、プロ野球の練習をこなすとは、想像を絶します。

原口 抗がん剤は錠剤タイプのもので、担当医の先生がいろいろと考えてアドバイスしてくださって、野球をやりながら服用できるものを選択してくれたんです。もちろん、練習も少し軽めの所から、まずはやっていました。

――そこからの回復が早かったですね。数ヵ月で試合に出場するわけですから。

原口 自分の中では、それぐらいのペースで戻っていくイメージはあったんです。ただ、抗がん剤治療を受けながらトレーニングをするプロ野球選手というのは前例がなかったので、慎重に練習や試合に復帰していきました。自分で「いける」と思う段階を考えて、少しずつうまく調子を上げていけました。そういった意味では、すごくいい流れのリハビリができました。

 1月に手術を終えて、2軍の試合に出場したのが5月のゴールデンウィーク明けでした。もちろん、実戦に出ると、思いがけない困難がたくさんありました。長い期間、投手が投げる「生きた球」を見てなかったので、(捕手として)ピッチャーの球を取れなかったこともありました。

 ブランクがあっても、その感覚のズレを少しでも埋められるように練習はしてきたつもりでしたが、実際にゲームに入ってみると、そこで初めて見つかる問題が出てくるんですね。

――いま、すごいことをさらっとおっしゃいましたが、原口さんはキャッチャーとして復活しようと思っていたんですね。試合を通して投手のボールを受け続けなければならないし、司令塔の役割でもあるポジションです。無理をしないで、一塁手で復帰するという手もあったと思います。なぜ、負担が重いキャッチャーでの復帰を目指したんですか。

原口 キャッチャーが好きで野球を始めて、その醍醐味もよく知っています。チームが勝つ瞬間に、マウンドに一番に駆けつける快感もある。キャッチャーとして、他のポジションでは得がたい喜びがあることは、よくわかっています。だから、その瞬間を思い描いて、最初から完全な形で復活することをイメージしていました。
(2021年8月12日公開記事に続く)