第10回戦前(1930年)の銀座。洋装と和装の人たちが混在している Photo:ROGER_VIOLLET/JIJI

見習社員たちへ
店内教育を徹底

 伊藤糸店では綿糸相場の激しい動きに対応するため海外の情報もつかんでおくことが重要だった。

 広範囲の商品知識はもちろん、業界動向に対するきわめて深い専門的研究がいる。需給の状況、相場の見通しなどを知るには糸店の店員は何よりもまず情報の入手に機敏であることが要求されたという。

 以上は一人前の店員(書記役以上)の仕事だ。

 店員の等級は下から順におおよそ次のようになっていて、職位によって仕事は違った。

・小役(一等から五等まで 見習社員)
・書記役(一等から四等まで 平社員)
・商務役補
・商務役(一等から五等まで 管理職)
・理事(一等から四等まで 重役)

 小役は荷捌き、荷造り、配達、店内の掃除などの雑務をしながら、耳で聞いて商売の内容を身に付けていった。書記役以上は専門知識を持ち、営業と接待に腕を振るった。

 本店、糸店では近江商人らしい勉強好きの気風があったようで、小役には徹底的に店内教育を施した。

 科目は商事要項、簿記、算術、英語、国語、商品知識。中等学校卒業程度の知識と教養を身に付けさせるための教育である。

 講師は外部講師と高級店員で、教室は店を閉めた後、売り場を片付けて机を置いて行われた。

 忠兵衛自身もまた店員教育を行った。彼が出講するのは浄土真宗の法話会で、毎月1回、必ず、開催される。法話会は全員出席が原則だ。

 休日は年4日、プラス正月3日の7日間だけだった。日曜日が休みになるのは大正6(1917)年からだ。

 興味深いのは店員の着ていた服についてである。仕事着、普段着は店からの支給、下着以外はすべて会社が用意することになっていた。

 入店当初の服は襟に「伊藤」と染め抜いた厚司(厚地の綿織物)である。6カ月が過ぎると河内木綿で織った結城紬ふうの着物が支給される。

 その後は双子(綿織物の一種)の大名縞(細かい縦じま)の着物になり、綿の鉄無地の羽織をまとう。

 商務役補になると、ガス交織の双子の羽織になる。ガス交織とはガス糸と他の糸で織ったもの。ガス糸とは糸の表面の毛羽立ちをガスの炎で焼き取ったもので、艶やかで滑らかな糸をいう。要はガス交織とは着心地のいい高価な服のことだ。

 帯は角帯、足袋は主人だけは白足袋で店員は黒だ。履物は下駄か草履を履く。

 こうした服装は明治、大正、昭和の初期までずっと続いた。

 なお、連載の第5回に書いた通り、忠兵衛は店員の食事に牛肉を提供している。

 当時、一般の店で店員に出す食事といえば、ご飯とみそ汁、漬物だったのに、伊藤の各店は月に6回もすき焼きを出すのが恒例だった。その他、新年会、恵比須講、芝居と相撲の見物があり、夏は納涼の舟遊びをした。

 社員にやさしい施策は創業当初からの伊藤忠の体質だったのである。