第8回Photo:JIJI

近江人の特質を形作る
浄土真宗の信仰

 持ち下りを始めた忠兵衛はのちに数多くの従業員を雇うようになるが、当初の従業員はむろん地元の人間だ。近江出身の彼らはいずれも文字の読み書きと算術ができた。

 忠兵衛は当然のこととして受け止めていたが、それは地元の湖東地区には武士階級以外で識字能力のある人材が豊富にいた結果なのである。

 交通の要路、産物、商業ノウハウの蓄積、識字能力は近江商人が生まれる背景だ。

 前回の連載では、近江商人が滋賀県で生まれた理由について、(1)交通の要路であること、(2)産物が豊かだったこと、(3)商業活動の蓄積があることの三つに加えて、二つの理由があるのではないかと書いた。

 そして、その一つが前述した識字能力の高さだとした。

 では、もう一つの理由はなにか。

 それは、近江人の特質を形作る要素でもある浄土真宗の信仰だ。

 作家の司馬遼太郎は著書『街道をゆく 近江・奈良散歩』で「かつての近江商人のおもしろさは、かれらが同時に近江門徒であったことである」としている。

「京・大坂や江戸へ出て商いをする場合も、得意先の玄関先でつい門徒語法が出た。

『かしこまりました。それではあすの三時に届けさせて頂きます』というふうに。この語法は、とくに昭和になってから東京に滲透したように思える。明治文学における東京での舞台の会話には、こういう語法は一例もなさそうである」

「日本語には、させて頂きます、というふしぎな語法がある。

 この語法は上方から出た。ちかごろは東京弁にも入りこんで、標準語を混乱(?)させている。

『それでは帰らせて頂きます』。『あすとりに来させて頂きます』。『そういうわけで、御社に受験させて頂きました』。『はい、おかげ様で、元気に暮させて頂いております』。

 この語法は、浄土真宗(真宗・門徒・本願寺)の教義上から出たもので、他宗には、思想としても、言いまわしとしても無い。真宗においては、すべて阿弥陀如来――他力――によって生かしていただいている。三度の食事も、阿弥陀如来のお蔭でおいしくいただき、家族もろとも息災に過ごさせていただき、ときにはお寺で本山からの説教師の説教を聞かせていただき、途中、用があって帰らせていただき、夜は九時に寝かせていただく。

 この語法は、絶対他力を想定してしか成立しない。それによって『お蔭』が成立し、『お蔭』という観念があればこそ、『地下鉄で虎ノ門までゆかせて頂きました』などと言う。相手の銭で乗ったわけではない。自分の足と銭で地下鉄に乗ったのに、『頂きました』などというのは、他力への信仰が存在するためである」