理三が募集を開始した1962年から21年までの灘の合格者数は、教育ジャーナリストの小林哲夫氏と大学通信の調査によると797人。59回の入試のうち灘は実に42回全国トップになっており、2000年以降も15人以上合格した年が13回ある。
灘が、筑波大学附属駒場、開成、麻布など東京の難関男子中高一貫校よりも長年理三に多数の合格者を輩出してきた理由の一つが、数学が得意な生徒が多いことだった。灘中学の入試は国語、算数、理科の3科目で、国語と算数は2日間行われる。算数の2日目はパターンの暗記だけでは対応できない、思考力が必要な問題を出すため、論理的に物事を考えられる算数好きな生徒が集まる。
灘高生は国際数学オリンピックに毎年のように出場している上、数学の授業のレベルも高いことで定評がある。同校の数学教師が授業で扱った難易度の高い問題が、半年後の東大入試に出題されたこともあるほどだ。
理三に27人が合格した13年は、東大入試の数学が極端に難しかった年だ。数学の問題が難しくなればなるほど、灘高生に有利になるというわけだ。
灘は理三だけでなく、国公立大学医学部全体の現役合格率でも常にトップを争ってきた。医学部合格ランキングの上位校の中には、医学部進学率を学校の売りにしているため、成績優秀者に医学部を積極的に勧めるところもある。しかし灘は「学校自体が成績優秀者に理三を勧めているわけではない」(同校の和田孫博校長)。医学部に特化したカリキュラムはなく、志望校の決定も生徒と家庭の意向に任せているという。
「医者になりたい」ではなく
「学力を証明する」ために理三を目指す
その一方で、理三に進学した卒業生に聞くと「成績優秀者はほとんど理三を受験していた」と証言する。内科医で、医療ガバナンス研究所理事長の上昌広医師だ。
上医師は、東大と京都大学のダブル受験が可能だった87年、理三と京大医学部の両方に合格した。87、88年は、国立大学の試験日がA日程=2月下旬、B日程=3月上旬に分ける方式が取られ、東大がB、京大がAの日程で試験を行った。AB両日程の入学手続きが同じ日だったため、京大に先に合格し入学する権利を持ちながら、東大の合格日まで待つことができたのだ。「私が受験した年は24人が理三に合格し、進学しなかったのは1人だけ。高3の駿台全国模試でもトップ10に灘から7~8人入っていて、校内順位と変わらない感じだった」と、当時を振り返る。
理三は、日本“最難関”学部だ。灘高生に限らず、有名予備校の全国模試の上位に入るような成績優秀層の中には「医者になりたい」というより、「日本一偏差値が高い」「自身の学力を証明する」ことをモチベーションに受験した学生もある程度はいたのだろう。
では、ここ5年で灘から理三への合格者数が減ったのはなぜか。和田校長は前提として「今春の卒業生のようにそもそも医学部志望者が少ない年や、理三よりも京大や大阪大学医学部志向が強い年もある」と断った上で、近年の医学部志向についてこう話す。
「以前は、浪人してでも東大や京大の医学部を目指す生徒が多かった頃もあるが、近年は、臨床医志望なら京大や阪大以外の関西の国公立大を目指す生徒も増えている」(和田校長)。
また、駿台教育研究所進学情報事業部の石原賢一部長は、「全国的に難関大志向が弱まっていることも背景にあるのでは」と推測。「少子化のため全体の受験生自体が減っているので、各大学の倍率が下がっており、浪人しなくてもどこかには現役で合格する確率が高くなっている。そのため、ロマンで理三を目指す受験生は少なくなった」(石原部長)。確かにここ数年の理三志願者は、16年の546人をピークに21年は385人にまで減っている。
そのほか複数の塾関係者によれば、特に今年は成績優秀層が医学部から情報系学部に流れ、今後もこの傾向は続くとみる向きが強い。昨年と比較すると、21年は主に情報分野などの工学系学部に進む理科一類(理一)が64.2%→65.6%と上昇しているのに対し、理三は75.3%→73.8%と下降し、両者の差が少し縮まっている。「頭が良ければ医学部」という、ここ数十年のスタンダードが廃れていくのかもしれない。