従業員の“健康状態の可視化”が望まれていく
「健康経営」がブームの様相を呈するには、もちろん、そのメリットやリターンが見込めるということもある。たとえば、米国のジョンソン・アンド・ジョンソン(J&J)では、78年前に作成された“Our Credo”で、全世界のグループ会社の従業員およびその家族の健康や幸福を大切にすることを表明している。同社が10年ほど前、世界のグループ企業250社以上、約11万4000人に健康教育プログラムを提供する投資のリターンを試算したところ、投資1ドルに対して生産性の向上、医療コストの削減、モチベーションの向上、リクルート効果、イメージアップなどで3ドル(3倍)のリターンがあったという。
ほかにも、健康施策を実施するとROA(総資産経常利益率)とROS(売上高営業利益率)が上昇する傾向があったり、健康経営銘柄はボラティリティ(価格変動比率)が有意に低かったり、健康経営度の高い企業のほうが離職率は低いといった実証データ*4 も出てきている。ただ、現在の「健康経営」の隆盛には、“ある種の危うさ”も垣間見えると山田氏は言う。
*4 経済産業省・ヘルスケア産業課「健康経営の推進について」より(令和2年9月)
山田 経済産業省が「投資」や「生産性」といったキーワードを持ち出すことは理解できますが、「健康経営に取り組む理由」がやや偏っているように感じます。確かに労働力人口が減りつつあるなか、従業員がより効率的にアウトプットを生み出すことは、日本の国力を上げることに繋がります。
しかし、「投資」や「生産性」はあくまでも経営視点のキーワードです。「健康経営」によって健康になるのは一人ひとりの従業員。従業員が自律的に自身の健康を捉え、健康になることが本質です。従業員からすれば、「なぜ、会社から健康についてうるさく言われないといけないのか」「健康管理は自分自身で精いっぱいやっている」といった反発を生み、せっかくの健康経営や健康施策が従業員の勤務意欲を損ないかねません。
そもそも、健康とは価値観の問題です。企業は一人ひとりの従業員の関心やニーズにきちんと寄り添っていくことが不可欠なのです。
そのために必要となるのが、“従業員の健康の可視化”だ。ところが、多くの企業において、たとえば、健康診断の結果は紙で保管されたまま、総務部・人事部などのキャビネットの中に眠っていたりする。
山田 私たちが創業当初から指摘してきたのは、「働く人の健康がブラックボックスになっている」ということです。多くの企業では従業員の健康状態をほとんど把握していないため、マネジメントのしようがないし、積極的に介入することもできません。「健康経営」の第一歩は、従業員の健康状態に関するさまざまな情報を一元管理し、もし、健康が悪化しそうな兆候があればすぐに察知して、早め早めにフォローすることです。そのためには、「どういう状況にある人が、どういうルートをたどって健康を害し、やがて退職していくか」をモデル化しておく必要があります。これを私たちは、Employee Journey Mapと呼んでいます。以前は難しかったかもしれませんが、いまはさまざまな形でデータを収集し、分析し、データドリブンで予測を立てるということが比較的簡単にできるようになっています。これからの人事戦略は、データによるPeople analyticsをベースにしなければ始まりません。それが、従業員の健康を守り、「健康経営」を可能にするのです。
もうひとつ欠かせないのが、さまざまな健康施策におけるボトムアップの仕組みです。通常、多くの企業において、健康施策は総務部・人事部などが音頭をとってトップダウンで行われていますが、それだけでは不十分です。トップダウンと同時に、従業員が健康に関してどういうことに課題を感じているのか、どういうことを会社にしてほしいのか――そのボトムアップ的なアプローチを用意することが不可欠です。従業員を巻き込み、当事者になってもらうことで初めて「健康経営」はうまくいくのです。