戦争が始まる前、国民を鼓舞するため、憎むべき「敵」の姿が浮かび上がってくるものです。その「敵」は、本当はどこにいるのでしょうか。今回は、心の中の「邪魔」なもの、煩悩について考えてみます。(解説/僧侶 江田智昭)
自分の足を引っ張り続けていたのは
これは、小山宙哉氏が青年漫画誌に連載している『宇宙兄弟』(講談社)第11巻に出てくる主人公“宇宙兄弟”の兄である南波六太[なんば・むった]の言葉です。作品の中では「俺の敵はだいたい俺です。自分の“宇宙へ行きたい”って夢をさんざん邪魔して、足を引っ張り続けたのは結局俺でした」と言葉が続きます。
セリフの中に「邪魔」という言葉が出て来ます。この言葉は、お釈迦さまが悟りを開くことを妨害するために現れた悪魔マーラに由来していると言われています。心の中の煩悩の化身であるマーラは、美しい女性3人を送り込んで誘惑するなど、さまざまな妨害行為を繰り広げますが、お釈迦さまは全く動じません。そして、35歳の時に悟りを開かれました。結局のところ、悟りを開く上での最大の敵(邪魔)は、他者ではなく、自分自身の心の中にあったのです。
私たちは外部に「邪魔」なものや「敵」を勝手に作り出し、それらに対してイライラしたり、憎しみを抱いたりします。しかし、「邪魔」なものは決して自分の外にあるものではありません。それはあくまで自分の心の中に存在しています。勝手に外部の存在に「邪魔」というレッテルを貼ってしまう自分自身の心の在り方が問題なのです。
仏教の教えに真剣に触れることは、自分自身の心の中の「邪魔(煩悩)」を深くのぞくこととつながっています。だから、それは、決して楽しい作業ではありません。仏教の教えは心地良いものばかりではなく、己の心を突き刺してくるようなものも中にはたくさん含まれています。仏法に触れて、自分自身の心の闇の深さが分かれば分かるほど、「自分の敵が自分である」という事実に気付くことができるのです。
宗教学者で僧侶の釈徹宗師が、「仏法は邪魔になるまで聞け」という言葉を紹介していました。これはつまり、仏教によって自分自身の煩悩の大きさが知らされ、その結果、「仏教の教えは自分にとって邪魔だ」と思えるほどに教えを聞きなさいということです。
なぜそこまでしなきゃいけないのだろう、と思う方もいるかもしれませんが、そのようなプロセスを経ることによって、宗教者にとって最も大切な「生かされている」という感覚が体の底から身に付くのだと思います。ですから、「生涯聞法[もんぽう]」(生涯仏教の教えを聞き続ける)という姿勢が、仏教(特に浄土真宗)では非常に重要とされているのです。