なぜアメリカはアフガニスタンに
民主政権を根付かせることができなかったのか?

【鼎談】田原総一朗&池内恵&三浦瑠麗「なぜ米国はアフガニスタンから撤退したのか?」三浦瑠麗(みうら・るり)
国際政治学者。東京大学大学院法学政治学研究科総合法政専攻博士課程修了、博士(法学)。 東京大学大学院公共政策大学院専門修士課程修了、東京大学農学部卒業。日本学術振興会特別研究員、東京大学政策ビジョン研究センター講師などを経て、2019年より現職。内政が外交に及ぼす影響の研究など、国際政治理論と比較政治とを専門とする。近著に『日本の分断―私たちの民主主義の未来について』(文藝春秋)。 Photo by Teppei Hori

三浦 ミャンマーでクーデターがありましたよね。その時も、ニュースははじめ大騒ぎをしていましたが、今は誰もが忘れてしまっているでしょう。日本の国内でも、「こんなことは許されるものではない」という言説が支配的でしたが、結局、時間がたてば現状が許容されている。ミャンマーの軍政を放置しているのですから。

 基本的にメディアというのは、騒ぐ時だけ大騒ぎをして責任は全くとらないもの。新型コロナウイルスでもそうですけれど、緊急事態宣言を出せと騒いで、緊急事態宣言を出したら今度は飲食店がつぶれると騒いで、給付金を出したら給付金バブルだと騒ぐ。そして、すぐに忘れてしまう。

 日本だろうがアメリカだろうが、それがメディアの一番よくないところですね。アフガニスタン問題でも同じことが起きている。撤退したらどうなるかなんて最初からわかっていたはずなのに、米軍が首都カブールから撤退した瞬間、黒衣を着せられた女性たちが嘆く様子を写真を使って騒ぐ。じゃあはじめから、アフガニスタンを見捨てるということの意味を論じておくべきではないかと。これほど偽善的なことはないと思うんです。なぜいつも後から言うんだと思いますね。ヨーロッパ諸国だってそうです。アフガニスタンに残りたくなくて撤退したのに、いざアメリカが撤退するとアメリカ政府を批判するというのは、なしですよ。

 軍人なら文句を言ってもいいと思います。政府の命令に従ってずっと命をかけてやってきたんですし、現地には彼らに協力してくれたアフガニスタン人がいる。今回は、実際にバイデン大統領を批判して拘束されてしまった将校もいましたが。

ミャンマークーデターミャンマークーデター
…2021年2月1日にミャンマーで起きたクーデター。ミャンマー国軍はウィン・ミン大統領やアウン・サン・スー・チー国家顧問ら民主政権の幹部を拘束。民主化を求めるデモ隊と、国軍や警察など治安部隊との間で今も激しい衝突が起きている。画像は、アウン・サン・スー・チー氏の旗を持って軍事クーデターに対し抗議する人々。Photo:NurPhoto/gettyimages

池内 米軍が去ると、タリバンは瞬く間に各所を制圧し、アフガニスタン国内は大混乱に陥りました。アメリカの対応は世界中から非難されましたが、その時、バイデン大統領は米軍の撤退を正当化するため、過去10年、あるいは911テロからの20年にわたる、対アフガニスタン政策の大部分を否定するような発言をしたんですね。

 アメリカは20年かけて「3つの目標」を追求してきました。ひとつは、カウンター・テロリズム(対テロ作戦)。すなわち、ビン・ラディン率いるアルカイダをはじめとした「国際テロ組織の掃討」です。これがアフガニスタンへ攻め入った本来の目標でした。

 しかし、対テロ作戦だけをやっていても武装反乱勢力が各地に出てくるため、対テロ作戦や新政府の統治が一向に安定しません。そのため、カウンター・インサージェンシー(Counter Insurgency/COIN)も目標に加わりました。日本的にいうと「ゲリラの鎮圧」です。これが2つめです。

 3つめは、そのようなゲリラが出てこないように国家そのものを作り直す、すなわち「国家建設」です。アフガニスタンにまともなガバナンスのある政府をつくって、開発のための支援をして、教育もして、きちんとした国家をつくる。そうでないと、すぐにゲリラやテロ組織が戻ってきてしまうので、いつまでたっても撤退できないからです。

 2001年の911テロ後、アメリカはアフガニスタン戦争を開始し、タリバン政権を打倒した後も、この3つの目標を達成するためにやってきたわけです。でも、ひとつめの対テロ作戦はビン・ラディンを捕捉して殺害したことで達成したと言えるにしても、残り2つは失敗に終わりました。

 そしてバイデン大統領は今回、残り2つの課題について「失敗だった」と認めるだけでなく、そもそもアメリカはこんなことはやるべきでもなかった、私は反対していたんだ、だから自分の政権で撤退したのだと、言ったんですね。

 これは過去20年のアメリカの政策や、政策を考えるシステムに対する強烈な批判が込められているわけですが、現大統領がこれまでのアメリカの政策を否定するというのは、私はちょっとひどいのではないかと思いますね。

【鼎談】田原総一朗&池内恵&三浦瑠麗「なぜ米国はアフガニスタンから撤退したのか?」オサマ・ビン・ラディン
…ウサマ・ビン・ラーデンなどの表記も。サウジアラビア出身のイスラム過激派テロリスト。国際テロ組織「アルカイダ」を設立し、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件をはじめとする数々のテロ事件を首謀したとされる。2011年、パキスタンに潜伏中、米軍の軍事作戦によって殺害された。Photo:gettyimages

田原 何でアメリカはアフガニスタンに、タリバンではない政権を根付かせることができなかったのですか?

池内 アメリカは当然、アメリカの息のかかった人をアフガニスタンの代表者にしたかったんですね。最初のカルザイ(ハーミド・カルザイ元大統領)にしてもガニー(アシュラフ・ガニー元大統領)にしても、アフガニスタン国内に支持基盤がほとんどない人物です。アフガニスタン国民の支持よりも、アメリカとの関係の深さや、アメリカや国際機関から資源を多く取ってこれるということを強みにしてアフガニスタンの政界に君臨する人を、結局、アメリカは好んだのです。

ハーミド・カルザイ元大統領ハーミド・カルザイ
…タリバン政権誕生時は、同じパシュトゥーン人勢力としてタリバンを支持し、1996年、タリバンの駐国連代表に任命された。その後、タリバン内にパキスタンの影響が強まると反タリバンへ。2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件以降、アメリカのタリバン政権打倒に協力した。第1次タリバン政権崩壊後、暫定政権としてアフガニスタン大統領に就任。2004年12月7日に直接選挙を経て正式な大統領に就任した。Photo:Brendan Smialowski/gettyimages
アシュラフ・ガニー元大統領アシュラフ・ガニー
…カブール大学で教師をしていたが、ソ連軍のアフガニスタン侵攻後にアメリカへ移住。ジョンズ・ホプキンス大学などで教鞭を執った後、世界銀行に務める。2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件後にタリバン政権が崩壊し、暫定政権が発足すると帰国。カルザイの暫定政権で財務相を務めた。2009年のアフガニスタン大統領選挙に出馬したが敗退。2014年の大統領選挙で当選し、2014年9月29日に第2代大統領に就任。2021年に米軍が撤退を開始するとタリバンが攻勢を強めてほぼ全土を掌握。ガニーは国外に脱出し、ガニー政権は事実上崩壊した。Photo:Anadolu Agency/gettyimages

三浦 国家建設という巨大な作業において、外国が外からお気に入りの人物を引っ張って要職に就けても、その国の国民がそれを受け入れなかったということでしょう。

 また、アフガニスタンが抱える地形上の問題もありますよね。アフガニスタンというのは大部分が入り組んだ山岳地帯で、各地が切り離されやすい地形をしている。地形上、ひとつの国としてまとまることが難しい。そのような、これまで国としてまとまったことがないようなところに近代国家をつくるということは大変なことです。建てるための土台ができていないわけですから。

 国としてそれなりの求心力があったイラクでさえ、アメリカは、自分たちの好みの政権を樹立して近代国家をつくることに失敗しています。ましてや、国としてもともと求心力のなかったアフガニスタンに、アメリカが近代国家をつくるなんて、無理な話です。