アメリカ当局者は「西洋化された人」や
「英語を上手に話す人」の情報を鵜のみにしてしまう

田原 2003年に始まったイラク戦争の時は、アメリカの言うことを聞かないフセイン政権をつぶせばイラクの統治はうまくいく、アメリカはこう思っていた。でも大失敗だったね。

イラク戦争イラク戦争
…イラクが国連決議違反をした、すなわち、湾岸戦争の停戦条件として受諾した大量破壊兵器廃棄の義務を果たさず、核兵器開発などを行っていたとして、アメリカ(ジョージ・W・ブッシュ政権)とイギリス(トニー・ブレア政権)の両国が、イラクの武装解除とサダム・フセイン政権打倒を目的にイラクに武力行使をした戦争。この戦争は、ブッシュの父が主導した1991年の湾岸戦争の流れをひくもので、湾岸戦争終結後もアメリカを敵視するイラクのサダム・フセイン政権に対し、ブッシュは不満を抱いていた。イギリスを除くほとんどのヨーロッパ諸国やロシア、中国、中東諸国など多くの国が戦争に反対する中、2003年3月20日に米軍がイラクの首都、バグダッドへ奇襲爆撃を強行。開戦から21日目の4月9日にバグダッドは陥落し、1979年からおよそ24年間続いたフセイン政権は事実上崩壊。フセインは同年12月に拘束され、2006年12月26日に死刑が確定、その4日後に刑が執行された。画像は、2008年大統領退任直前、イラクのバグダッドを電撃訪問したブッシュ氏。Photo:Pool/gettyimages

三浦 イラク戦争でサダム・フセインの政権を倒して新政権を樹立し、アメリカ主導で産業をイラクで発展させたい。アメリカはこう考え、2001年の911テロが起こってからブッシュ政権は周到に開戦を準備しました。

 でもその過程で、アメリカはイラクについてのまともな情報をまったくとることができなかった。情報提供者は、亡命イラク人の建築家など、思考がかなり西洋化されている人たちばかりでした。自分の国についてかなり古い情報しか持っていなくて、自分の国の国民がどういう考えかたをしていたか、わからなくなっている。だからロマンチシズムで語ってしまう。「亡命○○人」の情報というのは注意しないといけないんです。

 私はイラク戦争の事例研究を通じ、そういう人たちが描くバラ色のストーリーをアメリカの当局者が信じすぎてしまったこと、頼りすぎてしまったことに、問題意識を持ちました。アメリカ人って、英語が世界中で通用するから、英語を上手に話す人の知性こそが高いと思いこんでしまう傾向があると思うんです。そのため、彼らが言うことを簡単に信じてしまう。そういう傾向ってありませんか?

池内 ありますね。

田原 アメリカは太平洋戦争後、日本の占領と統治に成功しましたよね。その経験が、イラクやアフガニスタンにおいて大失敗した原因になったと思う。日本と同じにようにやればうまくいくと思い込んでしまった。

取材風景Photo by Teppei Hori

池内 イラクやアフガニスタンの国家再建に、日本や、同じく敗戦国のドイツのその後の発展を引き合いに出して語る人はたしかにいました。でもそれを真に受ける人はアメリカ人以外にはほとんどいなかったわけです。日本とドイツ、イラクとアフガニスタンが同じ道をたどるというのは到底考えられないことですよね。ただアメリカでは、割とそういう議論はまかり通っていた。

田原 アメリカの元・国防長官に、ジェームズ・マティスという人がいます。トランプ(ドナルド・トランプ元大統領)が下した、シリアとアフガニスタンからの米軍即時撤退という決定に反対し、トランプに再考を促したところ受け入れられずに辞任した。彼は、イラク戦争の失敗によってアメリカ人は大反省したと言っている。戦争は勝てばいいのではなく、してはいけないんだと。アメリカ人は大いに反省し、それが2009年の史上初の黒人大統領の誕生につながったと、こう言っていますね。オバマはイラク戦争に反対していたから。

三浦 オバマはイラク戦争時、国政の中枢にいなかったため、ある意味、イラク戦争に反対しやすかったというか、イラクからの撤退を主張しやすかったんだと思うんです。

 でもオバマが大統領になると、イラクから軍を引き揚げる代わりに、アフガニスタンへ追加的に戦力を投入し、目標を拡大しました。アフガニスタンに民主主義とそれを支える諸制度を導入して、北欧のような国にしようとしたんですね。象徴的なのが、女性の地位の向上です。女性が学び、外で働き、西洋のような身なりをしていれば、先進国から見て、女性の地位が守られていることがわかりやすく伝わる。そのような国にしようとしたわけです。

 ロンドンに旅行に来ているような豊かなイスラム系の中東人観光客って、ドバイとかから来ている人が多いですよね。ある意味、資本主義化、西洋化されているというか、消費社会に浸りきっている人が多い。ところが、そのようなヨーロッパに接近した特権階級的な社会をよしとせず、人々の平等をめざす一般的なイスラム社会では、脱イスラム化というのは難しいのだろうと思います。

 アフガニスタンの首都、カブールがタリバンによって陥落した時に、ウエディングドレス姿の女性の写真を使った広告が塗りつぶされたりしました。この20年、西洋化を味わってそれが当たり前になってしまった都市住民がいる一方で、アフガニスタン人の大多数を占める農村部の人々にとっては、タリバンは怖いけれど、西洋化や脱イスラム化をすんなりと受け入れることはできなかったのではないでしょうか。

田原 アメリカだけではない。中国もイスラムには手を焼いている。