温故知新で最先端の学びを校舎に取り入れる「立教女学院」(1)耐震改修で梁を一回り大きく補強した礼拝堂  (2)太平洋戦争中は軍需工場となったチャペル。そのときの痕跡が残る床。左側のクッションは礼拝時に床に置きひざまずくためのもの  (3)ロマネスク様式の聖マーガレット礼拝堂 (4)北米聖公会の寄付金で建造されたことが記された銘板
拡大画像表示

梁を補強した礼拝堂と設備を更新した講堂

――これはまた、ずいぶん立派な礼拝堂です。

山岸 築地にあった校舎が1923年の関東大震災で全焼し、教育の再開を目指し探し当てたのがこの久我山校地です。全て米国聖公会の献金で造られましたが、特にこの聖マーガレット礼拝堂は米国聖公会の女性たちの献金で昭和7(1932)年に造られました。設計は聖路加国際病院にあるチャペルと同じバーガミニで、立教大学のいくつかの建物も含め、彼は各地の聖公会の建築物もいくつか手掛けています。

 600人収容で、毎朝の礼拝、入学・卒業式、卒業生の結婚式などに利用されています。杉並区の指定有形文化財(建造物)にも指定されました。学校にとって一番大切な祈りの場です。生徒は、毎朝ここで祈り、パイプオルガンの音に包まれて育っていきます。

――耐震改修工事をされたそうですけれども、見た目では分かりませんが。

山岸 工事による変化の跡が見えないよう留意されています。本当に大工事で、梁には新たに鉄骨を入れました。「いったいどこが変わったの?」という感想が、文化財の改修では最大の誉め言葉だそうです。

――空襲にも遭わずによく残りましたね。

山岸 太平洋戦争が近くなり、米国に帰国した宣教師ミス・ヘイウッド(当時の副校長)が空襲の対象とならないよう尽力してくださったようです。戦時中は礼拝を行うことはできず、軍に接収されて軍事工場となり、日本無線が工作機械を置いていました。その痕跡が床のへこみやキズとして残っています。

――次は講堂ですが、こちらはどのような工事を。

山岸 中学か高校の全生徒を収容可能な講堂は高校校舎と同じ年に竣工しています。傷みの激しかった屋根と天井を重点的に修理し、椅子と床は一緒に新しいものに替えました。照明はLED化してあります。空調も改善し、2階の手すりも少し高くしました。放送機器は最新のものを入れ、各教室への中継もできるようになりました。

――こちらにも礼拝堂同様、パイプオルガンがありますね。

山岸 講堂で礼拝を行うときに使用しています。この小さなパイプオルガンは生徒が弾いています。講堂の舞台裏には音楽室があり、そこに置いてあるピアノをそのまま講堂の舞台に移動できますから、よく考えられています。音楽室を普通教室に転用しようという案もありましたが、そのままにしました。少し弧を描いている窓とガラスも昔のものがまだ残っています。

――この教室にも数台ありますが、ピアノがたくさんあるのですか。

山岸 校内には10台以上あります。講堂脇には以前は音大を受験する生徒の練習用にピアノの小部屋が並んでいました。一番端の一部屋は、生徒が合唱伴奏練習などに自由に使えるようそのまま残してあります。在学中の荒井由実(現・松任谷由実)さんもここで作曲していたとのことです。当時は音楽など芸術方面を目指す生徒が自由に出入りし、夢を育んだ場所でもあります。

温故知新で最先端の学びを校舎に取り入れる「立教女学院」(1)設備も入れ替えてすっかり生まれ変わった講堂 (2)講堂舞台裏に設けられた音楽室。少し弧を描いた窓は真ちゅうの鎖をたぐって開閉する(3)講堂脇の小部屋にあるピアノ (4)工事関係者から強く保存を勧められた昭和5(1930)年製の黒板はそのまま残すことに
拡大画像表示