その中で満了する契約を更新しない場合には、当該選手へ通知する「契約更新に関する通知書」の新規年俸欄に「0」を明示する慣例がある。これが戦力外通告の代わりとなり、メディアで「ゼロ円提示」と報じられてきたゆえんとなる。

 クラブを愛しているという理由で、年俸が「0」でもいいので残留したいと訴えても残念ながら受け入れられない。いわゆる「ゼロ円提示」を受けた選手は他チームへの移籍か、あるいは現役引退のどちらかを選択しなければいけない。

カズもゴンも受けてきた
非情な通告

 これまでには、大物選手たちも当時の所属先から非情な通告を受けてきた。

 Jリーグの黎明(れいめい)期を圧倒的な強さで席巻したヴェルディ川崎でまばゆい輝きを放ったスーパースターで、約2億円と当時の最高年俸を誇ったFW三浦知良(カズ)は、現在に至る長いキャリアの中で2度にわたって「ゼロ円提示」を受けた。

 最初は1998年オフ。経営から読売新聞社が撤退したヴェルディの資金繰りが悪化し、経営規模の大幅な縮小を余儀なくされた状況を受けて、高額年俸だった31歳のカズがリストラの一環として「ゼロ円提示」を受ける一人になった。

 現役続行を選んだカズはクロアチア・ザグレブを経て、約半年後の1999年7月に加茂周監督の熱いラブコールを受けて京都パープルサンガへ加入。翌2000年シーズンには得点ランキングで3位タイとなる17ゴールを挙げて復活へののろしを上げた。

 日本代表への復帰も果たした中で、ジェフユナイテッド市原との残留争いに敗れてJ2降格が決まっていた京都は、カズに対して「ゼロ円」を提示。明確な説明がなされないまま、2001年シーズンからカズは、ヴィッセル神戸へ新天地を求めている。

 その2000年シーズンに20ゴールをマークし、カズらを抑えて2度目の得点王に輝いたFW中山雅史(ゴン)も2009年11月に、前身のヤマハ発動機時代から20年間にわたって所属してきたジュビロ磐田から「ゼロ円提示」を受けた。

 当時42歳のゴンは「覚悟はしていた」と現実を冷静に受け入れ、スタッフとしての残留要請に断りを入れた上で現役続行を希望。磐田との決別を表明している。

 ほどなくして、当時J2のロアッソ熊本、横浜FC、コンサドーレ札幌、JFLのFC町田ゼルビア、V・ファーレン長崎、地域リーグの藤枝MYFCが獲得の意思を表明した。

 当時の年俸が2200万円だったゴンは、満身創痍(そうい)状態だった体を考慮。新天地への希望を「体のケアと強化に対して環境が整っていれば」と明かし、条件が最も低いとされた札幌を、医療体制や施設が充実しているという理由で選んでいる。

 2009年末の移籍会見では「現役生活が一番幸せ。ぶざまな姿をさらすかもしれないが、それが僕のサッカー人生です」とゴンらしい熱い言葉を残している。

 2010年シーズンの最終節では、横浜F・マリノス一筋で16年間プレーしてきた当時33歳のDF松田直樹(故人)が退団セレモニーに臨み、直前にクラブ側から「ゼロ円提示」を受けながらも現役を続行する理由を号泣しながら説明している。

「オレ、マジでサッカー好きなんすよ。マジでもっとサッカーやりたい。本当にサッカーって最高な所を見せたいのでこれからも続けさせてください」