25歳のピエリアン・アウンがサッカーのミャンマー代表の一員として来日し、日本代表とのワールドカップ予選前に母国で暴政を続ける国軍へ抗議の意思を示してから5カ月あまり。政治亡命を経て肩書を難民認定者に、ゴールキーパーを担うピッチをフットサルに変えて、Y.S.C.C.横浜のプロ契約選手として新たな人生を送っている。サッカー元日本代表の松井大輔と同時期の加入だ。仕事や日本語の習得を含めて、今を必死に生きる姿を追った。(ノンフィクションライター 藤江直人)
サッカー元ミャンマー代表を受け入れたのは
横浜のフットサルチーム
競技名の頭文字を取った「Fリーグ」の愛称で知られ、ディビジョン1に12チームが名を連ねるフットサルの全国リーグは、1試合で最大14人がベンチ入りできる。
選手の内訳を見ると、大半のチームが2人のゴールキーパーを入れている。その中で例外もある。ディビジョン1に昇格して2シーズン目のY.S.C.C.横浜だ。
今年9月から10月にかけて、フットサルワールドカップがリトアニアで開催され、日本代表も出場した。それに伴う中断から明けた10月に入って、横浜はゴールキーパーが1人だけという構成で戦っている。
選手がいないわけではない。ワールドカップに臨む日本代表候補に名を連ねたブラジル出身のホープ、22歳の田淵ラファエル広史の他にキーパーがもう一人いる。9月に加入したばかりのクラブ唯一の外国籍選手、ミャンマー出身のピエリアン・アウンだ。彼がベンチ入りしていない理由を前田佳宏監督はこう説明する。
「サッカーからフットサルへの転向、という部分が本当に簡単ではないので。それに対して今、本人が非常に真摯(しんし)に取り組んでいる状況です。必ずデビューする日が来るので、彼の頑張りに期待していただければと思っています」