自由な「遊び心」によって生まれた作品

――遊び心」がこの展覧会の一つのキーワードと言ってよさそうですね。

アートを生み出し、ビジネスマインドを鍛える「遊び」の力

正木 展示された作品を見ていると、子どものようなマインドセットで作られていると感じます。普通、「表現」は作品となって人々の元に届くところまでを射程に入れるわけですが、それ以前に「表出」という原初的な欲求があります。気持ちの赴くまま、欲望のままに何かを外に出すという行為が「表出」です。幼い子どもが絵を描くときは、「作品を作ってやろう」なんて考えたりしませんよね。遊びながらただ描きたいものを描くだけです。この展覧会には、そういう子どもの遊びが持つ原初的な力がある気がします。

――中川さんが気の向くまま自由に撮った写真にThe Pranksが自由にペインティングしているという点では、遊びと遊びの掛け算の結果、偶発的に作品が生まれたといえるかもしれません。

アートを生み出し、ビジネスマインドを鍛える「遊び」の力

正木 ええ。僕はいつも「アートはウンチだ」と言っています(笑)。とにかく出すことが大事で、自分の中から何かが出てくる実感と喜びさえあればそれでいいという考え方です。作品はあくまでもその自然の行為の結果にすぎません。特に音楽のようなアートにはその側面が強いですよね。

――ジャズの即興演奏などは、いわば「出しっ放し」ですからね。エリック・ドルフィー(※1)は、「音楽が終わったとき、それは宙に消えて、二度と捉えることはできない」という有名な言葉を残しています。

正木 それがまさに表出です。絵画や造形は表出の痕跡が物理的に残りますが、結局はウンチがそのまま残っているにすぎません(笑)。そして、よくできたウンチは高尚なアートとして分析されたり批評されたりするわけです。

――今回展示されている作品がウンチだと言っているわけではなく、あくまで一つの比喩ということで(笑)。

正木 もちろんです(笑)。この展覧会は人間のプリミティブな表出欲の本質を捉えたもので、子どものような遊び心から作品が生まれている。そう僕が解釈させていただいているということです。

――展覧会の成り立ちそのものも一種の遊びといっていいかもしれません。最初は10枚の写真で試しにコラボしてみて、それが20枚、30枚と増えていって、111枚になったところで、展覧会にしてみようということになり、さらにそこに「言葉」という要素が加わったという経緯だったようですね。

正木 一つ一つの作品に短い文章が添えられていて、それらを全てつなげると1つの小説になるという趣向ですね。写真、絵、言葉というそれぞれの断片をつないでいくことでストーリーが生まれるというのは、遊びの中で感じた断片的なイメージから1つの世界を紡いでいく子どもの成育過程に近いものがあると思います。

――遊びの繰り返しの中から、結果的に世界の「意味」のようなものが見えてくると。

正木 そういうことですね。「意味」は事後的に生まれるもので、「意味」を後追いすることしかできないのが人間の本質なのだと僕は思います。

――ちなみに、その小説は『IN LOVE WITH SATAN(邦題:サタンに恋して)』というタイトルで2022年2月22日にThe Pranksのウェブサイトで公開されるそうです。「111の白昼夢」を構成する言葉の断片が、「222」に公開されるということで、これも一種の遊び心というか、後追いで生まれる意味というか……。

正木 遊びが徹底していますね(笑)。素晴らしいと思います。

※1 エリック・ドルフィー(1928~64年)。ジャズのマルチ楽器奏者。「When music is over, it's gone in the air. You can never capture it again」という彼の言葉が、死後に発表されたアルバム『ラスト・デイト』に収録されている。