「マーケティングの4P」の一つである「価格」ですが、その決定責任者は多くの企業で曖昧なようです。しかし今後、顧客に合わせた商品・サービスのカスタマイズの幅が広がっていくにつれ、自然と値付けも変動的になり、それを監督し責任をもつ人や部隊が必要になるはずです。そのとき、いったい値付けの専門家は社内でどのような立ち位置にあるべきなのか? また、果たしてそういう人材はいるのか? 経営戦略が専門の琴坂将広さん(慶應義塾大学総合政策学部准教授)と、初の著書『新しい「価格」の教科書』を上梓した松村大貴さん(ハルモニア代表取締役)が語り合います。(写真:野中麻実子)
松村大貴さん(以下、松村) 琴坂さんは、複数の企業の社外取締役などをされて経営陣と密にかかわっていらっしゃいますが、企業の価格に対する取り組み方や認識されている課題などについて、どのように見ておられますか。
慶應義塾大学総合政策学部准教授
慶應義塾大学環境情報学部卒業。博士(経営学・オックスフォード大学)。小売・ITの領域における3社の起業を経験後、マッキンゼー・アンド・カンパニーの東京およびフランクフルト支社に勤務。北欧、西欧、中東、アジアの9ヵ国において新規事業、経営戦略策定にかかわる。同社退職後、オックスフォード大学サイードビジネススクール、立命館大学経営学部を経て、2016年より現職。上場企業を含む数社の社外役員・顧問を兼務。専門は、経営戦略、国際経営、および、制度と組織の関係。主な著作に『STARTUP』(NewsPicksパブリッシング)、『経営戦略原論』(東洋経済新報社)、『領域を超える経営学』(ダイヤモンド社)など。
琴坂将広さん(以下、琴坂) 商材によりますが、バリューチェーンが既にあるということは、価格決定権を自分でもてない場合がありますよね。あとは、お客さま側のリファレンス価格があって、「こういうものだ」という見解を強く持たれているものに対して、「こういう理由から、この値段で提供します」と説明しようとすると、そのコストがかかりますから、自分たちは適切な価格にしたくても、一定の制約を受けて変更しづらいというのはある。価格というのは意思決定1つで粗利が吹き飛ぶぐらいパワフルなツールだけに、単純に最初の一歩が「こわい」というのもあると思いますね。
松村 たしかにリスクから考えると、触るのがこわい武器かもしれませんね。
琴坂 もっとシンプルに、価格以外の変数でやることが多すぎて、手が回っていないという場合もあるでしょう。関わっている多くの方を考えると、そこまで手を入れづらい、自然に後回しになる、という事情もある。
供給過少状態にあることを解決しようとしているビジネスの場合は、供給を正常化しようとしたほうが、価格を変更するよりいい可能性もあって、それで価格には手を付けていない場合もある。価格を上げることでお客さまが他社に乗り換えるスイッチングの機会を与えるだけになるならば、あえて価格を動かさずにお客さまとのリレーションを確保する、という考え方もありえますよね。
ヤフー株式会社で米国企業との事業開発やブランディング、東日本大震災の復興支援プロジェクトなどに携わった後、2015年にハルモニア株式会社を創業。インターネット広告の仕組みから着想を得てダイナミック・プライシングサービスを立ち上げ、企業へのコンサルティング、ビジョンメイキングを行っている。ビジネスのすべてをダイナミックにし、地球のサステナビリティを向上させることがミッション。2021年12月、初の著書となる『新しい「価格」の教科書』発売。
松村 おそらく、カスタマーベースをまずは広げようという施策が効くのは、市場が成長しているってことですよね。市場が成長しているから、価格より効果的な打ち手がある。高度成長期の製造業のような戦略が合理的な市場もある。
ただ、それ以外の大多数である、変動価格を取り入れていかなければいけない企業において、プライシングは誰がどのように決めていくべきでしょうか。ファイナンスやマーケティングなどを司る立場のCxOっていっぱいありますけど、プライシングは責任者不在の企業も多いのが現状です。
琴坂 専門性が必要で、経営インパクトが大きくて、コンスタントに指示をする必要があるといったことを考えると、理想的にはCxOやその下ぐらいのヴァイス・プレジデントレベルの専任者が必要ですよね。もしCPO(Chief Pricing Officer)みたいな概念がないとしても、CEO決裁でもおかしくない。あるいは、コングロマリット型の企業の場合は、事業部門の長となる人がやるべきでしょうね。
20年ほど前まで、CFO(Chief Financial Officer)という肩書はなくて、日本企業には経理部長や財務部長しかいなかったところ、ファイナンスの重要性から徐々に認知されて、今では当たり前にいる存在です。人事をみるCHO(Chief Human Officer)や、UI/UXを司るCXO(Chief eXperience Officer)もそうでしょうし。
松村 CMO(Chief Marketing Officer)っているじゃないですか。CMOの管掌は多くの場合、プロモーションが主体になっている印象です。いわゆる「マーケティングの4P」には価格(Price)も入っているはずなんですけど。
琴坂 たしかにそうですね。価格設定が、コストプラス(原価などのコストに利益を上乗せする価格設定)や、ターゲットプライシング(想定される事業規模から、一定の利益が出せるような価格設定)で価格を決めている事業者がほとんどで、CMOの仕事として価格設定が含まれていないことが多そうです。
松村 私がお付き合いしている企業の範囲で知りえた話になりますが、マーケティング部門でプライシングの権限をもっていない場合が多く、CMOのほとんどは広告領域出身の方です。各社の経営層に、プライシングの専門家やそれをずっと回し続けられる専門部署が必要になっていくでしょうが、人材の輩出場所がない。価格変更をした経験のある人数も少ないし、責任をもって回し切ったことがある人が限られる。その人材不足の問題は非常に大きいです。
琴坂 投資銀行界隈からクオンツ(投資戦略や金融商品を数学的な手法で考案する専門家)の大量移動が起きたりしないんですかね。投資銀行のホールセール部門が自動化と少人数化を進めていますから、投資銀行にいた値決めとアルゴリズム化の専門家に、金融商品より楽しいものをもっと売ろうよとスカウトするとか(笑)。
松村 それはいいアイデアですね。そういう周辺領域で経験を積んだ方や、統計学や数学などを学んだ方に、マーケティングをやりませんか、と言っていくことが大事だと思います。プライシング・マネジャー不足を僕たちはなんとかしたい。デジタル人材が足りないというのはよく言われますが、プライシング人材も足りないんです。大学で教えるといっても、何学部でやるのかという問題もありますし。
琴坂 私が教えている慶應義塾大学のSFC(湘南藤沢キャンパス)の総合政策学部や環境情報学部は数学だけでも受験できるので、やりましょうか。「社会を切り開く」がモットーのSFCでぜひ(笑)。生産工学とか数学科とか統計とか、そういう人たちをひたすら引きずり込んでいくしかないんでしょうね。
ツールが進化していくなかで、使う側がそれを使いこなす素養をもてず、いまだに過去に必要なスキルを学ぼうとしてしまっているところはありますね。10年後20年後に求められるスキルを考えたときプライシングは必須かもしれません。
松村 そういう未来になんとかもっていきたいし、そのためにはアカデミアと連携した取り組みも必要だと思っています。国策としても価格設定力を上げていくべきという議論は、「新しい資本主義実現会議」でも出ているようですね。いいものを安く売るのをやりすぎているので、リバランスしていきたいです。
琴坂 そういうプログラムが必要ですね。日本の生産性を引き上げるうえで、プライシングはSingle Most Important Effective Wayなんですよね。めちゃくちゃいいものは既に作れているので、適正な価格できちんと売っていかないといけません。(了)