テスラのシートヒーターは内蔵されているのに最初は使えない状態になっていて、ボタンを押してお金を払うとオプションがオンになって使えるという、まさに「ソフトウェア発想」の付加サービス。このように、技術の進化によって、ものづくりはもちろん、値づけ(プライシング)の自由度も高まっています。大量生産・大量販売の時代に、長らく「一律価格」が続いてきましたが、これからのプライシングはどのように変わるのか、その必然といえる背景も含めて、経営戦略の専門家である琴坂将広さん(慶應義塾大学総合政策学部准教授)に、初の著書『新しい「価格」の教科書』を上梓した松村大貴さん(ハルモニア代表取締役)が聞いていきます。(写真:野中麻実子)

松村大貴さん(以下、松村) 琴坂先生といえば、「戦略」という言葉の起源までさかのぼって経営戦略の変遷を書籍にまとめられるなど、その専門家でいらっしゃいます。今日は、ぜひ経営戦略の歴史のなかで「価格戦略」がどのように登場して今の至るのか、教えてください。

琴坂将広さん(以下、琴坂) ご著書『新しい「価格」の教科書』を拝読して大変刺激を受けました。その通りだなと共感するところも多かった。あの本にも、紀元前から現代にいたるまで、価格と経済社会の関わりを俯瞰する年表がありましたね。あれを作るのは、かなり大変だったでしょう?

テスラのシートヒーターは内蔵されていてもオプション! そんなソフトウェア型プライシングが拡大していく経済や経営戦略の動きと価格にまつわる歴史(新刊『新しい「価格」の教科書』より)
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松村 そうですね(笑)。①個別交渉の時代、②一律価格の時代、③変動価格の時代という大きな流れをつかみやすいかなと、あの年表を作りました。

私は起業してクライアント企業にダイナミック・プライシングの提供やコンサルティングの立場から価格の問題に向き合ってきたものの、研究者ではないので……今回、拙著をまとめるために、価格の歴史や、その経済の変化との結びつきなどについて調べ直しましたので、今日は琴坂先生のお話を伺って答え合わせをするような、少し怖いながらも楽しみに伺いました。

テスラのシートヒーターは内蔵されていてもオプション! そんなソフトウェア型プライシングが拡大していく琴坂将広(ことさか・まさひろ)
慶應義塾大学総合政策学部准教授。
慶應義塾大学環境情報学部卒業。博士(経営学・オックスフォード大学)。小売・ITの領域における3社の起業を経験後、マッキンゼー・アンド・カンパニーの東京およびフランクフルト支社に勤務。北欧、西欧、中東、アジアの9ヵ国において新規事業、経営戦略策定にかかわる。同社退職後、オックスフォード大学サイードビジネススクール、立命館大学経営学部を経て、2016年より現職。上場企業を含む数社の社外役員・顧問を兼務。専門は、経営戦略、国際経営、および、制度と組織の関係。主な著作に『STARTUP』(NewsPicksパブリッシング)、『経営戦略原論』(東洋経済新報社)、『領域を超える経営学』(ダイヤモンド社)など。

琴坂 これは本にも書かれていましたが、長い間、大量生産・大量販売という経営組織・販売手法において、価格を「お客さまごとに、あるいは状況ごとに変える」のではなく、一律・一定の価格にして効率性や規模を追求することが一定の方程式として存在してきました。そのパラダイムは、100年以上変わっていない。航空やホテルといった一部の産業や、(付加価値の違いによって商品サービスを差別化する)バージョニングなど限定的な価格戦略は生まれましたが、それ以上に深まってこなかったと私も見ています。

なぜそうなってきたかと言えば、商品について説明していくらにするかと毎回個別に交渉するのは、コストがかかるんですよね。その説明ロジックを構築したり、説明できる人材を養成したりしなきゃならない。一方で、「提示価格が正しい」というメッセージを提供者から一方的に発信するほうが、楽だし効率的だとする時代が続いてきた。そして、それを前提として、今ある多くの生産と販売のバリューチェーンは作られているので、いざ価格を動的に動かして収益を最大化しようといっても、その仕組みが整っていません。

松村 19世紀から20世紀に移っていくあたりで大量生産・マスマーケティングが主流となり、また組織が小規模な商店から大企業に移っていくことに合わせて、価格を固定化して「商品・サービスの質を変えずに、量や規模を伸ばしていくためにどうすればいいか」という戦略の検証や研究のほうが発展してきたのかなと考えています。

琴坂 その理解です。まず、大量生産・大量販売のニーズに基づいて、一定の価格でできるだけ多く販売するというのを前提としている企業や経営者は未だ数多く存在します。加えて、競争戦略上、自分たちが今いる以外の価格帯は別の人のテリトリーである、という認識を持ち、価格帯を自由に移動する、移動できるというイメージを持ちにくいのではないか、とも思います。また、それぞれの価格帯に別の競争者や商材がいるので、そのなかで自分のスペースを見つけるという議論の立て方をした競争戦略が支配的な時代が長く続いたことも背景かと思います。

松村 なるほど。それは、外部環境の分析のもとづく戦略のブームというか、一時代があったということでしょうか。

琴坂 経営戦略の理論の流行り廃りには、実務における戦略の考え方の流行りと連関する部分があるんですよね。極端に言えば、自社について「こういう会社だ」と定義してしまうのが、ポジショニングや競争戦略の思考の背景にあります。例えばコストを削ってどんどん安い価格で提供していくぞというマインドセットの会社が、急に「価格は上げてもいいんだ」という発想にはなりづらい。逆もしかりで、高価格帯を狙っている会社は、低価格帯で提供するという発想になりにくい。そういう中で、供給量が決まっている航空やホテルの業界で価格を動的に設定する動きが先行したのは、もともと持っているマインドセット以上に「何とかして収益を上げなければ」という渇望があったからだと思います。

テスラのシートヒーターは内蔵されていてもオプション! そんなソフトウェア型プライシングが拡大していく松村大貴(まつむら・だいき)
ヤフー株式会社で米国企業との事業開発やブランディング、東日本大震災の復興支援プロジェクトなどに携わった後、2015年にハルモニア株式会社を創業。インターネット広告の仕組みから着想を得てダイナミック・プライシングサービスを立ち上げ、企業へのコンサルティング、ビジョンメイキングを行っている。ビジネスのすべてをダイナミックにし、地球のサステナビリティを向上させることがミッション。2021年12月、初の著書となる『新しい「価格」の教科書』発売。

松村 そこはやっぱり、商品・サービスの供給量が固定的である、という要件が大きかったんですかね。

琴坂 飛行機であれば、土日や平日の朝は混んでいる一方で平日の昼間の数人しか乗らない時間帯を何とかしなきゃ、というときに、一番簡単に変更できるのが価格です。路便の本数や行き先を勝手に変えたり、飛行機の客席数を自由に変えたりということはできませんからね。そういうふうに、もともともっているマインドセットを壊せるような強烈なインセンティブが働く産業では、ダイナミック・プライシングが先行的に進んできたのではないでしょうか。

1990年頃から、ソフトウェア産業でバージョニングの発想が進化していった。情報経済の特性として、バージョニングがしやすいことは一つの要因であったと思います。ソフトウェアは、顧客の要望によって機能を外したり付けたりと簡単に商品を差別化できて、知見も経験も実績も蓄積できた。バージョニングの概念は、ソフトの重要性が高まる他産業でも、いま一気に広がりつつあるのではないでしょうか。

松村 価格差別の研究はかなり前からありますよね。経済学の20世紀前半に価格差別の類型がパターン化できてたり、そのインパクトがきちんとあるという証左も数字で示されている。ただ、ソフトウェア以前の時代では、実践に活かしようがなかったのかもしれませんね。事業そのものがソフトウェア・ベースだったり、デジタル技術を活用することでタッチポイントやサービス内容をダイナミックに変えやすくなって、価格も変えていけるようになった。それより前に進化していった広告の最適化やパーソナライズあたりが学びとなって、価格にも応用できるのでは、と多くの人が感じるようになった気がします。

琴坂 仰るとおりですよね。一例として自動車を挙げると、メーカーが無限のオプションを用意して提供しても、そのコストが見合うのは本来なら超高級車だけのはずでした。部品をそれぞれ少量生産して、人の手で組み付ける必要があったからです。でも、今ではそれが可能な自動車の価格帯がどんどん下がってきています。かつてはランボルギーニやフェラーリだけだったのが、今やポルシェあたりでも様々なオプションを付与できるようになってきたのは、生産におけるアルゴリズム化、自動化、機械化のお陰でしょう。全体のシステム設計もカスタマイズしやすくなっているし、生産現場においても工場のラインに流れてくる部品を組み付けるだけでよくなった。

最近では、テスラのシートヒーターみたいに、もともと内蔵されているのに最初は使えない状態になっていて、ボタンを押してお金を払うとソフトウェア上でオプションがオンになって使えるという、ソフトウェア発想のものづくりの会社が出てきた。付加価値によって価格を変動させられるかどうかは究極的にはノウハウに尽きると思っていて、ITインフラの助けも借りて、比較的トレーニングが浅い人でも価格を動かせる時代になってきたのかなと思ってます。

松村 たしかにそうですね! 今日は贅沢な授業を受けてる感じだな……。

自分なりにこの本の源流になっているのは、アダプティブ(適応)型戦略(変化が激しく予測不能な環境下で、長期的な分析・計画下で持続的競争優位性をめざすというよりは、トライ&エラーを繰り返しリアルタイムで調整しながら一時的優位性の連続をめざす戦略)や、ダイナミック・ケイパビリティ(環境変化に合わせて社内資産を再構築し自己変革する力)など、比較的最近の経営戦略だと感じています。お客様のニーズを含め外部環境が常に変わり続けることを所与の条件として、組織内部で価格を含めていかに自分たちのビジネスモデルを変えていけるかが、今後の企業にとって必要なのかなと。それは、経営戦略のトレンドでもあるのでしょうか。

琴坂 大量生産・大量販売の時代は、アメリカでは「黄金時代」と呼ばれたように、かなり安定的に産業構造が成長しつづけているのが前提条件ですよね。そこには競争すらない。どんどん市場が広がっていくなかで、自分たちはとにかく効率的に生産して、規模拡大にキャッチアップしていく。一転、成長が停滞し始めると、競争の議論が始まって、産業の中で自分のポジションをとろうとする。ただ産業構造自体は変わらないので、できるだけいいポジショニングをめざして移動する、という話でした。

さらに90年代にインターネットが登場して、産業構造をぶち壊すプレーヤーが登場すると、自分たちがイノベートして新しい環境に適応していかなければならないという議論に変わってきました。新しいその時々の状況に対して適切な戦略を捉えなおしていくことが必要で、価格も同じだろうと思います。お客様も自分なりに価値と価格を判断されるようになって企業と対話する時代ですから、それに企業も対応しなければ勝てない。(明日公開の第2回へ続く