ヤクルト創始者の代田稔氏ヤクルト創始者の代田稔氏 提供:ヤクルト本社

乳酸菌シロタ株を発見した
ヤクルトの創始者

 長野県の市の中で最も南に位置する飯田市。伊那谷を流れる天竜川沿いに街が広がる。長野県立飯田高校は、企業の創業者や自治体の首長を輩出している。

 プロ野球の東京ヤクルトスワローズは、この11月の日本シリーズで20年ぶり6度目の優勝を果たした。セ・リーグで前年、最下位だっただけに、劇的な優勝といえるだろう。

 そのヤクルトの開発者で実質的な創業者である代田稔(しろた・みのる)が、飯田高校の前身である旧制県立飯田中学の卒業だ。旧制二高(仙台)を経て京都帝大を卒業、京大(当時は京都帝大)医学部微生物講座の講師を務めていた1930年に「乳酸菌シロタ株(ヤクルト菌)」を発見した。

「健康な腸を保つことで長生きを」というのが代田の願いだった。日々の経営や販売組織づくりには直接、タッチせず、代田はヤクルト本社の会長・中央研究所所長を長年務め、研究開発に徹した。「事業者」ではなく「創始者」に徹した。

 球団は50年に国鉄スワローズとしてスタートした。65年に産経新聞傘下になり、70年にヤクルト本社が単独で経営権を持った。チーム名が「ヤクルトスワローズ」になったのは、73年のことだった。