「監督付き」という肩書からスタートした社会人生活

 学校を出て、西さんはドキュメンタリー作品の製作・配給を行う映画会社の職に就いた。しかし、与えられた仕事は、専門学校で学んだ“映画を創ること”ではなく……。

西 実は、わたしは卒業制作を完成させられないまま卒業しています。撮影した膨大な素材を前にそれらをどうまとめていいのかが全くわからず、編集の手が止まってしまいました……。そんなときに、ある方から「ドキュメンタリー映画も手掛けている会社が宣伝スタッフを募集しているけど興味ある?」とお話をいただき、「映画を仕事にできるのなら」との思いで「興味あります」とお返事しました。最初の仕事は、映像ジャーナリストの熊谷博子さんが監督されたドキュメンタリー映画『三池 終わらない鉱山(やま)の物語』(2005年)の宣伝業務でした。わたしは映画会社のスタッフとして、熊谷監督のご自宅に通いながら、チラシ作成に携わったり、試写会場を押さえ、試写状を出して、監督取材の日程を調整したり……熊谷監督がテレビのディレクターもされているので、メディアのお知り合いが多く監督の補佐的な役割でしたが、そこで宣伝の仕事をひととおり経験させてもらいました。

 製作の仕事に向き合えなかったことは、西さんにとって不本意だったのでは?

西 映画の制作現場に携わりたいという気持ちはたしかにありました。在籍した映画会社はドキュメンタリーだけでなくフィクションの映画も製作していましたから、いずれは製作側に回れるのかなぁ、とは思っていましたね。もっと言えば、いつか、自分でも映画を撮れたらいいなぁ、とも考えていました。