東日本大震災から10年、「きこえなかったあの日」が伝えてくれる真実

東日本大震災から10年。誰もが決して忘れることのできないあの日、あの時間。さまざまな人たちがそれぞれの思いで過ごしてきた3654日(2011年3月11日~2021年3月11日)。多数のメディアや関係者が「10年」を語るなか、被災した聴覚障がい者*1 を地震発生の11日後からカメラに収め続けたドキュメンタリー映画「きこえなかったあの日」は、歳月の重みと人の絆の尊さを教えてくれる。同映画の監督・撮影・編集を務めた今村彩子さんが語る3.11からこれまで、そして、これからのこと。(ダイヤモンド・セレクト「オリイジン」編集部、手話通訳/相澤千恵子)

*本稿は、現在発売中のインクルージョン&ダイバーシティ マガジン 「Oriijin(オリイジン)2020」からの転載記事「ダイバーシティが導く、誰もが働きやすく、誰もが活躍できる社会」に連動する、「オリイジン」オリジナル記事です。

*1 一般的に、「きこえの不自由な人」を聴覚障がい者と呼び、中途失聴者・難聴者・ろう(あ)者に大きく分けられる(「中途失聴者」と「難聴者」の両方を含み「難聴者」とすることもある)が、その程度や原因が当事者によって異なるため、聴覚障がいのある人を分類したり、定義することは難しい。厚生労働省「平成28年 生活のしづらさなどに関する調査」からは身体障がい者手帳所持者の人数を把握することができ、その限りでの聴覚障がい者は約29万7000人となっている。(2019年 三菱UFJリサーチ&コンサルティング「聴覚障がいのある雇用者の活躍に向けて」より)

「海」の映像の意味が分からなかった、あの日…

 生まれつき耳のきこえない今村さんは、映画「きこえなかったあの日」のプレスシートにこう記している。

「2011年3月11日、午後2時46分。私は愛知県内で仕事の打ち合わせをしていた。揺れを感じ、テレビをつけると画面には海が映し出されていた。私は地震なのに、なぜ海の映像がずっと流れているのか分からなかった」

――そして、夜に帰宅し、津波のことを知ったという。今村さんが地震発生直後に目にした映像は津波が起きる前のもので、そこに字幕はなかった。耳のきこえない今村さんに、切迫した状況を伝えるニュースキャスターの声は届かなかった。

今村 津波があったと分かったときはびっくりしました。信じられなかったです。それから、報道を毎日毎日追いかけ、「本当にたいへんなことが起きてしまったんだな」と…。私の住まいがある名古屋でも、数回の揺れがあり、いろいろなことが気になってしかたなかったのですが、被災地の「きこえない人」について、テレビでも新聞でもあまり多くを知ることができませんでした。自ら取材に行きたいと思っていたら、「目で聴くテレビ*2 」さんからお話があり、「きこえない人」たちが困っていること、必要としている支援を伝えたいという気持ちから、現地に向かったのです。

*2 「目で聴くテレビ」は、聴覚に障がいのある方のための放送局で、1995年の阪神大震災の教訓をふまえて、全日本ろうあ連盟、全日本難聴者中途失聴者団体連合会などが中心となり、1998年からCS放送(通信)をスタートした。手話と字幕をつけてさまざまな情報を発信している。

東日本大震災から10年、「きこえなかったあの日」が伝えてくれる真実写真提供:レガード

今村彩子 Ayako IMAMURA

1979年4月10日生まれ。名古屋市在住。大学在籍中に米国に留学し、映画制作を学ぶ。劇場公開作品に『珈琲とエンピツ』(2011)、『架け橋きこえなかった3.11』(2013)、自転車ロードムービー『StartLine(スタートライン)』(2016)、『友達やめた。』(2020年)がある。また、映像教材として、ろうLGBTを取材した『11歳の君へ~いろんなカタチの好き~』(2018/DVD/文科省選定作品)や、『手話と字幕で分かるHIV/エイズ予防啓発動画』(2018/無料公開中)なども手がける。

「伝えたい」という気持ちで東北地方を目指した今村さんだが、報道関係者や支援者同様、東日本大震災の被災地に入る*3 ためには相応の苦労があったという。

*3 当時の交通規制の詳細は、「東日本大震災に伴う交通規制 平成23年9月 警察庁交通局交通規制課」(PDFファイル)などを参照

今村 震災から11日後に現地に着きましたが、経路を調べ、移動するのはたいへんでした。名古屋から新潟まで飛行機で行き、新潟でスタッフと合流し、レンタカーを使って宮城県を目指しました。最初に訪れたのは仙台市です。

 仙台市内に宮城県聴覚障害者協会*4 の支援対策本部*5 が設置されていたので、被災したろう者たちの情報を教えていただこうと考えていました。到着したのは夜だったのですが、「よく来てくれたね」と笑顔で迎えてくれてほっとしました。そこで、被災したろう者が岩沼市*6 の避難所にいると教えてもらい、翌日、対策本部の方々と一緒に岩沼市に向かいました。

 そして…ただただ、驚きました。海に近づくにつれ、ひどい光景が広がり、自動車が田んぼや、家の中に突っ込んでいたり、どこも泥だらけで…ニュースで見る映像との大きな違いはなかったですが、自分自身がその場所に身を置いていることに言葉にならない感情が湧きました。避難所には、被災した方がたくさんいらっしゃいました。当たり前ですが、誰がきこえない人なのか、私には分かりません。対策本部の方に教えていただいて、ろうのご夫婦とお会いすることができました。

*4 一般社団法人宮城県聴覚障害者協会
*5 聴覚障害者支援対策本部を立ち上げた小泉正壽さん(宮城県聴覚障害者協会会長)も映画「きこえなかったあの日」に登場している。
*6 宮城県岩沼市の東日本大震災における人的被害は、死者181名、行方不明者1名、建物被害は5428戸(岩沼市公表数字より)

東日本大震災から10年、「きこえなかったあの日」が伝えてくれる真実

「きこえなかったあの日」

2021/日本/116分/ドキュメンタリー
配給/Studio AYA 配給協力・宣伝/リガード 監督・撮影・編集/今村彩子
新宿K's cinemaほか全国順次公開中
インターネット配信実施中