教養とは「どうやって生きるか」そのもの

篠田:最後に、参加してくださったみなさんに持ち帰ってほしい言葉をひと言ずついただけますでしょうか。

堀内:さっきチャットを見ていたら「本だけが教養じゃないですよね」というコメントがありました。まったくその通りだと思います。本以外から教養を身につけたって構わない。

 教養というものは、単なる知識の暗記とはまったく別物で、「どうやって生きるか」そのものだと思うんです。ある程度の知識は必要ですけど、さっき山口さんが言ったように、それをつなげて、どうやってこれから自分が生きて世の中と関わり、よくしていけるか、自分なりの考えを持って実践に移す、ということが教養だと思っています。

 ですから、ときどき私も「博覧強記」とか言われることもあるんですけども、いっぱい知っているだけならWikipediaになんでも書いてあるし、AIのほうがなんでも覚えてるわけで、そういうのは全然意味がないと思います。

 知識を身につける方法に貴賤はありません。人との出会いでもいいし、何かの体験でもいいし、本を読んでもいい。ただ、本の場合、特に古典は、磨かれて磨かれて、それでも残っている経験や知識が詰まった珠玉の知識だと思うんです。

 ニュートンの有名な言葉に「私が遠くを見通せたのだとしたら、それは巨人の肩に乗っているからだ」というものがあります。そういう観点で、本というものをぜひ役立てていただきたいなと思います。

山口:堀内さんの言葉の繰り返しになってしまうんですけど、やっぱり「よく生きる」ってことだと思うんですね。「年収が高い」とか「会社のポジションが上だ」っていうのが競争の軸になりがちですけど、本来の競争って「人生の最後で、自分らしい生を全うできたと思えるかどうか」だと思うんですよね。

 大江健三郎が、人間として重要なことは「decency(良識)」だと言ってますけども、そのために必要ないろんな知恵が教養ってことなのかなと。そこにつながるならば、僕はサーフィンだって教養だと思うんです。サーフィンをやってる人って独特の哲学を持ってることが多くて、波を待つことをずっとやってるからか、待つことの本質についてすごい深い考えを持ってるんですよね。だから、入り口はなんでもいいのかなと。映画でもスポーツでも。

 目的が「年収を上げるため」とか「会社のポジションを上げるため」とか「飲み会で女の子にへぇ〜って言われるため」だと、勉強してもあんまり意味がない気はしますけどね(笑)。

篠田:お二人とも、かなりパーソナルなところまでたくさんのご経験をお裾分けいただいて本当にありがとうございました。

 最後、「未来のことをお二人から聞きたい」というコメントがあったのでそこに触れて終わりにしたいと思うんですけども、ここまでのお話でお二人は「未来のことを教えて」というその態度を問うているわけですよね。それを作るのは私たちひとりひとりの今後の生き方であって、それをどうしていくかは各々でつかむしかありません。そして、今日この場でお話しした「教養」が、その礎になってくれるものだと感じています。

 そういった感覚をこの1時間弱のなかで少しでも感じていただけたなら、非常に有意義な時間になったんじゃないかな、と思っております。本日はどうもありがとうございました!

あなたはどう生きるか?悩み多きビジネスパーソンへ捧ぐ、「教養」を身につける方法【山口周×堀内勉×篠田真貴子】セッション終了後の一コマ(デザイン:McCANN MILLENNIALS)