メール、企画書、プレゼン資料、そしてオウンドメディアにSNS運用まで。この10年ほどの間、ビジネスパーソンにとっての「書く」機会は格段に増えています。書くことが苦手な人にとっては受難の時代ですが、その救世主となるような“教科書”が今年発売され、大きな話題を集めました。シリーズ世界累計900万部の超ベストセラー『嫌われる勇気』の共著者であり、日本トッププロのライターである古賀史健氏が3年の年月をかけて書き上げた、『取材・執筆・推敲──書く人の教科書』(ダイヤモンド社)です。
本稿では、その全10章99項目の中から、「うまく文章が書けない」「なかなか伝わらない」「書いても読まれない」人が第一に学ぶべきポイントを、抜粋・再構成して紹介していきます。今回は、書くために大切な「乱読」について。

この年末年始に読むべきは、「2人以上の信頼する知人」が勧める本Photo: Adobe Stock

読書を「検索」にしてはいけない

 人に読ませる文章を書きたいのなら、小手先の表現テクニックよりも先に、まずは「読者としての自分」を鍛えていこう。本を、映画を、人を、世界を、能動的に読む人であろう。あなたの文章がつまらないとしたら、それは「書き手としてのあなた」が悪いのではなく、「読者としてのあなた」が甘いのだ。前々回から前回にかけて、そんな話をしてきました。

 今回は、「読者としての自分」を鍛えるための読書法について、考えていきたいと思います。

 本を読むとき人は、なんらかの目的を持っていることが多いものです。

 たとえば、ビジネススキルの向上をめざして、著名な経営者の書いた本を読む。あるいは就職活動の面接対策として、コミュニケーション術の本を読む。こころの悩みを解決するため、哲学や心理学の本を読む。おそらくは本書『取材・執筆・推敲』も、「文章力の向上」や「ライターになること」を目的に読まれる方が多いと思います。

 これらの目的に沿って読まれた本は、その感想のほとんどが「役に立った」か「役に立たなかった」かのふたつに収斂されていきます。読むことが、情報収集の作業となっているわけです。ぼく自身のことを振り返ってみても、ひと月のうちに読む本の7割以上は仕事上の資料であり、つまりは情報収集の材料です。パラパラと流し読みをして、「役に立たない」と放り投げる本は、毎月何十冊となくあります。

 しかし、読書とは本来、もっと自由なものです。

 役に立つとか立たないとか、そんな実用とは無縁の領域でおこなわれるはずのものです。

 目的に沿った読書は、どうしても拾い読みに流れます。重要なところだけ、役に立ちそうなところだけを拾い、結論を急いでその他を素通りする。情報収集という意味では効率的ですが、これではほとんど「検索」と変わりがないでしょう。

 読むことと検索することは、まったく別の行為です。

 資料にあたるときのぼくを含め、多くの人たちは「検索型」の読書に傾いていますが──そして検索に適したスタイルの本が量産されていますが──どれほど膨大な数の検索をこなしたところで、「読者としての自分」を鍛えることにはつながらないでしょう。

この年末年始に読むべきは、「2人以上の信頼する知人」が勧める本古賀史健(こが・ふみたけ)
1973年福岡県生まれ。九州産業大学芸術学部卒。メガネ店勤務、出版社勤務を経て1998年にライターとして独立。著書に『取材・執筆・推敲』のほか、31言語で翻訳され世界的ベストセラーとなった『嫌われる勇気』『幸せになる勇気』(岸見一郎共著、以上ダイヤモンド社)、『古賀史健がまとめた糸井重里のこと。』(糸井重里共著、ほぼ日)、『20歳の自分に受けさせたい文章講義』(星海社)など。構成・ライティングに『ぼくたちが選べなかったことを、選びなおすために。』(幡野広志著、ポプラ社)、『ミライの授業』(瀧本哲史著、講談社)、『ゼロ』(堀江貴文著、ダイヤモンド社)など。編著書の累計部数は1300万部を超える。2014年、ビジネス書ライターの地位向上に大きく寄与したとして、「ビジネス書大賞・審査員特別賞」受賞。翌2015年、「書くこと」に特化したライターズ・カンパニー、株式会社バトンズを設立。2021年7月よりライターのための学校「バトンズ・ライティング・カレッジ」を開校。(写真:兼下昌典)

多読よりも大切な「乱読」

 では、どうすれば「検索型」ではない読書ができるのか?

 乱読です。

 自分の興味関心から離れた本、仕事やプライベートの実利と直結しているとは思えない本、特段話題になっているわけではないジャンルの本、顔も名前も知らない異国の作者の本を、ただ読んでいく。目的のないまま、いわば「読むために読む本」として読んでいく。

 目的さえ取り払ってしまえば、読書は結論を急ぎません。

 社会学の本を読んでいても、美術史の本を読んでいても、誰かの評伝を読んでいても、情報を求めているわけではないのだから、なにかを「お勉強」する態度にはならないでしょう。眼前に広がる世界を純粋にたのしみ、作者と語り合うことができる。本の細部にまで目が届くし、表現の巧拙がよりくっきりと浮かび上がる。

 ぼくは、すぐれたライターの条件に「多読家であること」を挙げようとは思いません(なんと言ってもぼく自身、まったくもって多読家ではありません)。

 しかし、目的を持たない読書ができること、つまり「乱読家であること」は、ライター、そして書く人の大切な素養だと思っています。多読と乱読は、似て非なるものなのです。

読書選びのルールは「2人以上の推薦」

 本選びに迷うようなら、いくつかルールを設けるといいでしょう。

 ぼくが個人的に採用しているのは、ある編集者から教えられた「ふたり以上の『信頼する知人』からすすめられた本は、かならず読む」というルールです。いま売れているとか、自分の興味関心に関係なく、ふたり以上の知人がすすめる本は読んでみる。このルールがあるだけでも、自分の守備範囲から遠く離れた本や作家との出会いを担保できるでしょう。

 また、通読に値する本であるかどうかについては、目次を頼りに「自分にも土地勘のある話」「自分が何度も考えてきた話」についての記述を見てみるといいと思います。

 たとえば、その作者が「プロフェッショナルとは◯◯である」と語っているページ。あるいは「ビジネスの本質は◯◯にある」と断言しているページ。「恋愛とはけっきょく◯◯なのだ」と定義づけているページ。なんでもいいので、あなた自身にもなんらかの持論や土地勘のある話題を拾ってみましょう。

 もしもそこで月並みなことしか書かれていないようなら、それまでの本だということです。わざわざ時間をつくって読む必要はありません。どのみち本は、一生をかけても読みきれないほどたくさん存在します。そして再会すべき本には、人生のどこかできっと再会するでしょう。「積ん読」の本がどんなに増えてもかまいません。お勉強の意識を捨てて、片っぱしから手に取っていきましょう。

(続く)