ある社会人が大学に戻ることになった経緯とは?
大野昴さん(仮名)は3年次編入で大学生になった企業人である。コロナ禍に入学し、授業の半分以上をオンラインで受講してきた大野さんの目の前には卒業が近づいている。
既に大学を一度卒業している大野さんが、働きながら大学で再び学ぼうと決意した直接のきっかけは、職場での日常的な一コマにあった。ある上司が、一緒に働いている障がいのある従業員に対して心ない言葉を投げかけていた。世間で人々がよく口にしているような言葉だった。しかし、障がい者を傷つけるには十分な言葉だと感じた。毎日のように見てきたできごとだったが、これが彼の大学での学びを決意させた。
その決意には伏線があった。
それは、大野さん自身が突発的なパニック障害に襲われた青年時代の記憶である。パニック障害に悩まされたのは、最初に卒業した大学で就職活動をしていた頃のことだった。企業就労をめざしていた大野さんは、ようやく面接試験にまで漕ぎ着けても、パニック症状が出てしまって面接にならないという経験を繰り返し、「このままではレールから外れてしまう」という焦りを強く感じた。祈るような気持ちで就職活動を続ける中で、「もし、自分がうまく就職できて働けることになったら、苦しんでいる人のために自分の力を使おう」と心に誓った。
卒業して、現在働いている会社に運よく入社することができた大野さんは、必死に働いた。働いているうちにパニック症状は軽快し、仕事が軌道に乗るにしたがって「苦しんでいる人のために自分の力を使おう」という決心も記憶の彼方に去っていった。
管理部門に配属されていた大野さんは、他の従業員に対して厳しいまなざしを向けることを要求されていた。彼自身もその状況に適応し、失敗した従業員を叱りとばすこともあった。その一方で、私生活では結婚し、子どもも産まれた。傍目にも順調で、特に何かを変えなければならないと感じることもない、まったく自己完結的な環境の中にいた。
上司が障がいのある同僚に対して発した心ない言葉を聞き、大野さんがハッと我に返ったのは、そんな日々の中だった。「このままではまずいのではないか」という思いが大野さんの脳裏をかすめた。就活をしていたときの辛い気持ちを思い出した。忘れてしまってはいけない記憶だと思った。
何か行動を起こさなければと考え始めた大野さんは、「ヨーロッパでは、人生につまずいたら大学に戻りなさいと言われる」という文章に出合い、「これだ!」と思った。