著者が通う料理教室の先生は、道端に落ちているゴミを見つけると、拾って片づける。誰の目に触れることもなく、感謝もされない。ただ「気持ちのいい空間になった方がいい」という思いから生まれた行動である。

 見返りを求めない気遣いは、粉雪のようなものだ。綿菓子は、見た目は雪のように白くてフワフワしている。しかし、さわると手がベタベタになる。そういう気遣いは本物とはいえない。相手にも気づかれず、自分も傷つかない。粉雪のように消えてしまうのが本当の気遣いだ。自分がやったと主張しないことが思いやりという隠し味になるのだ。

◇自分のために気遣いをする

 トップセールスパーソンであるAさんは、スポンサー契約を打ち切られたアスリートを知り合いの経営者に紹介した。その結果、その選手は、新たにスポンサー契約を結ぶことができた。Aさんは超多忙であるにもかかわらず、仕事に結びつかないことでも相談されたらできるだけ力になろうとする。それは、「誰かの役に立ちたい」という自分の願望のためにやっているのだという。相手のために何かするのが癖になっていて、自然と気遣いができるのだ。

 長くは生きられないかもしれない老猫を保護し、懸命に看病しているBさんもまた、「見捨てて帰ったら、頭から離れずに、夜も眠れなかっただろう。これは、自分のためにやっている」という。

 この2人に共通しているのは、進んで気遣いができ、それを自分のためにやっていると思っていることだ。つまり、相手の幸せを自分の喜びとして感じることができるのだ。

「情けは人のためならず」というように、愛のある気遣いは、やがて自分に返ってくる。だからこの2人は、優しく親切な人に囲まれていたり、ビジネスが順調に運んでいたりするのだろう。

◇気遣いのマトリックス

 著者は、カウンセラーやコーチをしている経験から、気遣いに悩む人と、素晴らしい気遣いで職場や家庭、友人とのコミュニケーションがうまくいっている人の違いを発見した。それを4つのゾーンに分類したのが、「気遣いのマトリックス」である。心理学者エリック・バーンによる心理学・交流分析(TAトランザクショナル・アナリス)の「人生態度」に当てはめて作成している。縦軸に「元気」「疲れている」、横軸に「自分目線」「他人目線」をとり、次の4つのゾーンに分ける。