語学やエクササイズ、楽器演奏など、スキルの獲得には練習がつきもの。ゲームも同じである。とはいえ、ゲームに「コーチング」の世界があることを知らない人も多いのではないだろうか。(フリーライター 武藤弘樹)
「上達したい」というゲーマーの渇望
隆盛の兆し見せるゲームコーチング
ゲームが市民権を拡大してきていて、筆者もゲーマーとしてうれしい限りである。かつては「ゲーマー」と名乗るのはどこか後ろ暗い趣があったが、現在はむしろ「あなたもゲームをやるんですね!」と好感を持たれる向きすらある。
ゲームもネット接続が当たり前になってから、対人戦コンテンツが充実した。人と対戦するということは勝ち負けがあるということであり、勝つとうれしいが負けると悔しい。
そしてこの負ける時の悔しさというのが、経験のある人ならわかると思うが、尋常でなく狂おしい。
余談だが、筆者が観測したところ、これまでにディスプレー、机、ゲーム機本体などさまざまなものが激高したゲーマーによって破壊されてきた。中にはゲームソフトを火にくべる儀式をもって自らの怒りを浄化しようとする人もいた。ゲーム未経験の人からすると異常な所業にしか見えないのだが、経験者には共感できる部分がたしかにある。それくらい、ゲームで負けることは悔しいものなのである。
そうした負けを体験したゲーマーは、大きく分けて二つの道をたどる。耐えがたき敗北を忘れようと努めるか、「自分にもっと力があれば…!」と嘆いて上達を志すかである。
しかし「上達するため」と思っても、漫然とプレーを重ねるだけでは効率的に上達しないのではないか……。そうした世の需要の高まりから出てきたのが、“ゲームコーチング”というお仕事である。上達を望むゲーマーは、お金を払えばうまい人にゲームの手ほどきをしてもらえるのである。
長い前置きとなったが、今回は筆者のような中年ゲーマーにゲーミングコーチは有効か、などについて考えてみたい。