誰が欠けてもメダルは取れなかった
藤澤に「一人じゃない」と感じさせた仲間たち

 紆余(うよ)曲折をへてロコ・ソラーレの下に集った4人の誰一人として欠けても、日本を含めてチーム単位がそのまま国際大会の日本代表になるケースが多いカーリングで、前回平昌五輪の銅メダルも、そして北京五輪での銀メダル獲得もかなわなかっただろう。

 高難度のウィックを正確無比に決める夕梨花が「職人」ならば、スイーパーとして存在感が際立つ鈴木は「自己犠牲精神の具現者」となる。夕梨花とともにフル回転でスイープしてくれるからこそ、知那美も、藤澤も思い切ってショットを放てる。

 そして、あらゆる方面へアンテナを張り、仲間たちのメンタル状態を的確にキャッチし続ける知那美はムードメーカー役を担う意味を、勝敗を左右するスキップの藤澤を特に慮りながら「一生、さっちゃんのバディ(相棒)でいる」と説明したことがある。

「どうしても孤独を感じるポジションだからこそ、全員で支えないといけない」

 自分が投げるとき以外は司令塔役としてハウス後方から指示を飛ばし、ショットの強弱やコースを見極める藤澤は、大量4失点で一時は7‐7に追いつかれながら、最終的には10‐7で振り切った16日のアメリカ戦後にこう語っている。

「特にちな(知那美)がポジティブな言葉をかけ続けてくれて、落ち込みそうになったときも全員で乗り越えられたと思っています」

 デンマーク戦の最終ショットで、2点のビハインドをひっくり返す起死回生のダブルテイクアウトを決めたのも藤澤だった。対照的にスイスとの1次リーグ最終戦やイギリスとの決勝で、思い通りのショットを放てなかったのも藤澤だった。

 ジュニア時代から天才として知られ、「スマイリング・アサシン」、日本語に訳せば「笑顔の暗殺者」と物騒なニックネームを外国勢につけられた藤澤は、今大会は涙を介して何度も感情を露(あら)わにした。スイスに雪辱を果たした準決勝後には、こんな言葉を残している。

「散々泣いたおかげで疲れ果てて、いい意味で力が抜けた状態で試合に臨めました」

 天才と呼ばれたゆえに完璧主義の一面も持ち合わせていた藤澤に、ときには弱さをさらけ出させ、結果として土壇場でのスーパーショットを何度も引き出させた軌跡は、「一人じゃない」と感じさせた仲間たちの存在を抜きには語れない。