M&Aを成長戦略と捉え、狙いどおりにシナジーを生み出していくためには、PMIプロセスで起こる「人と組織の課題」について、なんらかの取り組みが必要です。実際、図表3のとおり、M&Aの投資額の6%以上をPMIに投資することで、価値創出の度合いを大きく高められる、というデータもあります(*3)。PMIプロセスでは、人と組織の課題にどう対処するか、組織・職場づくりをいかに計画的に行っていくかが、M&Aの成功率を高めるカギになります。
PMIにみられる人と組織の課題とは?
M&Aを「もったいないM&A」にしてしまう一番の要因が、PMIプロセスにおける人と組織の問題にあるということは、前項で述べたとおりです。この「PMIプロセスにおける人と組織の問題」とは、具体的にはどのようなものでしょうか。M&Aが日本に比べてより日常的に行われ、PMIに関する知見がたまっている海外(特に米国)の研究から、PMIの問題とその原因を探っていきたいと思います。
米国の研究者ミョング・セオとN・シャロン・ヒル(2005)(*4)は、M&Aに関する100件以上の書籍や論文を分析し、PMIで起こる人と組織の問題を次の6つのフレームワークに整理しています。そのフレームワークの観点を参考に、「PMIにみられる6つの課題」についてお伝えします。
1. キャリアに対する不安
キャリアに対する不安とは、M&Aにまつわる社員の不安です。現在の業務に対してM&Aによるネガティブな影響がある場合、「このままでキャリアアップしていくことができるのだろうか」「今のキャリアを続けていくことができるのだろうか」などという心理的不安が、社員を襲います。その結果、自分の立場を守ろうと保身に走る傾向が高まり、生産性が落ちてしまいます。
2. “自分たちらしさ”の喪失
“自分たちらしさ”の喪失とは、M&Aに巻き込まれた社員の組織アイデンティティ(その組織のメンバーであるという思い)が失われることです。買われた側の企業やメンバーにも、組織・グループとしての“自分たちらしさ(アイデンティティ)”が、当然あります。この“自分たちらしさ”は、買った側の企業やメンバーが持つ“自分たちらしさ”と衝突することもあります。その結果、「自分たちは何者なのか」がわからなくなります。このような場合は、M&A後の新しい環境において“自分たちらしさ”の再構築が求められるのです。
3. 組織文化の衝突
PMIのプロセスでは、業務の様々な場面で、2社の組織文化の衝突が起こります。そのストレスによって、社員の士気の低下、欠勤・離職、生産性の低下といった問題が発生します。買った側・買われた側、どちらの組織文化に合わせるのかが決まっておらず、両組織が自社の組織文化を採用したいと考え、争っている場合、ストレスはより大きくなります。
*4 Myeong-Gu Seo & N. Sharon Hill (2005) "Understanding the Human Side of Merger and Acquisition: An Integrative Framework" The Journal of Applied Behavioral Science, Vol.41 No.4, December 1, 2005, pp.422-443
中原淳 (なかはら じゅん)
立教大学経営学部教授。立教大学大学院経営学研究科リーダーシップ開発コース主査、立教大学経営学部リーダーシップ研究所副所長などを兼任。博士(人間科学)。1998年東京大学教育学部卒業。大阪大学大学院人間科学研究科で学び、米マサチューセッツ工科大学客員研究員、東京大学准教授などを経て現職。「大人の学びを科学する」をテーマに、企業・組織における人材開発・組織開発・リーダーシップ開発について研究している。著書に『M&A後の組織・職場づくり入門』『組織開発の探究』(共著、HRアワード2019書籍部門・最優秀賞受賞)『研修開発入門』(以上、ダイヤモンド社)、『職場学習論』『経営学習論』(以上、東京大学出版会)ほか多数。
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