今回ご登場いただいた成蹊学園の江川雅子氏もインタビューの中で紹介しているが、コロンビア・ロー・スクール教授のロナルド・ギルソン氏とジェフリー・ゴードン氏は、2020年に“Board 3.0”、すなわち「取締役会3.0」という考え方を提唱した。

 彼らによれば、1950〜60年代頃は、取締役会は執行部にアドバイスする役割が多く、これが取締役会1.0の時代、その後モニタリングや監督の機能を求める取締役会2.0が1970年代から本格化し、現在に至っているという。実際、日本の公開企業ではアングロサクソン流のモニタリングボードが志向され、指名・報酬・監査委員会などが整備されてきた。

 ところが、社外取締役の独立性や客観性を追求してきたことが、かえって現在のビジネス環境とミスマッチを起こしているのではないかという指摘がある。そのような中で、ギルソンとゴードン両教授は、従来の2.0では、経営陣と取締役会の間における情報の非対称性、社外取締役が調査・分析するためのリソースや時間の決定的な不足、そして社外取締役のインセンティブやコミットメントの欠如といった問題があると指摘する。そこで、こうした問題を解決するには、プライベートエクイティ会社とその投資先企業との関係を手本にすべきであり、たとえば社外取締役が経営陣や外部コンサルタントなどと席をともにして議論する「戦略検討委員会」を取締役会に設置する必要性を訴える。これが取締役会3.0である。

 実のところ、この考え方に疑問を呈する向きもある。ただし、ビジネス環境がダイナミックに変化する中で、取締役会が果たすべき役割や重要視すべきトピックスもおのずと変化するという指摘はやはり古くて新しく、財務や法制度に偏りがちな議論では戦略はなおざりにされやすい。

  本インタビューの中で、江川氏は、倫理、パーパス、無形資産、多様性、ステークホルダー資本主義など、新しいトピックスを指摘しているが、言い換えれば、取締役会と社外取締役には多元的な視点が求められていることを示唆している。取締役会3.0の核心とは、こうした多種多様な課題に執行と監督が──けっして馴れ合うことなく──共創的に取り組んでいくことにほかならない。コーポレートガバナンスの研究者である江川氏に、その具体的な方向性を聞く。

「倫理」がなぜ問われているのか

編集部(以下青文字):ピューリッツァー賞作家にして弁護士のジェームズ・スチュアート氏の『ウォール街 悪の巣窟』(ダイヤモンド社)で描かれているように、1980年代の経済界は権謀術数が飛び交う、まさに生き馬の目を抜くような世界でした。同じくヨーロッパでも、大企業の経営破綻や不祥事が相次ぎました。ここに規律をもたらそうと発表されたのが「キャドバリー報告書」で、いまではコーポレートガバナンスの始まりの書とされています。以来、ガバナンスは進歩を重ね、日本においても、昨2021年6月のコーポレートガバナンス・コードの改訂で、制度的には当初の目的を達成したと考えられます。それゆえ、これからは価値観やパーパス、信頼や共感といった非制度的なものが重要視されていくのではないでしょうか。

取締役会3.0の時代成蹊学園 学園長
東京大学金融教育研究センター招聘研究員
江川雅子
MASAKO EGAWA
東京大学教養学部卒業。ハーバード・ビジネス・スクール修了(MBA)。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。商学博士。1986~2001年ニューヨークおよび東京にて外資系投資銀行でM&A、資金調達業務に従事。ハーバード・ビジネス・スクール日本リサーチ・センター長を経て、2009年より東京大学理事として大学経営に携わる。2015年一橋大学大学院経営管理研究科教授、2020年より同特任教授。2022年より現職。現在、東京海上ホールディングス、三井物産の社外取締役、ならびに日本証券業協会副会長・自主規制会議議長を務める。政府税制調査会、財政制度等審議会、金融庁政策評価に関する有識者会議などの委員を歴任。著書に『株主を重視しない経営』(日本経済新聞出版、2008年)、『「6つの壁」を越える力』(中経出版、2014年)、『現代コーポレートガバナンス』(日本経済新聞出版、2018年)が、共著に『ケーススタディ日本企業事例集』(ダイヤモンド社、2010年)、『グローバル化とリーダーシップ』(I-House Press、2011年)、『世界で働くプロフェッショナルが語る:東大のグローバル人材講義』(東京大学出版会、2014年)が、訳書に『ハーバードの女たち』(講談社、1987年)、『メアリー・ケイの人を活かす23章』(東洋経済新報社、1994年)がある。

江川(以下略):これまでガバナンスでは、コンプライアンスが重視されましたが、今後はますます「倫理」や「道徳」が問われていくのではないでしょうか。

 近年、経営者が常識やモラルに欠ける行動や発言をすると、すぐにSNSで批判され、またたく間に拡散していきます。最悪の場合、イメージダウンや不買運動につながることすらあります。「法律を守っているから」「違法ではないから」では済まされません。

  SNSの影響力が意識されるようになると、いきおい対策の検討、制度やルールの見直しなどに話が進みがちです。不正事件を起こした企業の中には、内部統制やコーポレートガバナンスの仕組みをきちんと整えていたところも多いです。こうした不都合な真実が示しているのは、制度だけでは、ガバナンスの実効性を担保できない、言い換えれば、制度にはやはり限界があるということです。

  すると、「何のための社外取締役なのか」というお叱りの声が聞こえてきそうです。しかし、私を含めて、社外取締役は、その責務を果たすためにその会社のことを深く理解しようと努めています。とはいえ、やはり情報の非対称性を解消することは難しく、経営者が巧妙に隠した不正を見破ることはほぼ不可能です。

 社外取締役は、CEOをはじめ経営陣の人事に影響力を行使できますが、平時は実務面での知識や経験の豊富な経営陣に業務執行を委ね、重大な問題が生じたら介入し、必要ならば解任するという立場です。その際、CEO以下、経営陣の倫理観、目線の高さは極めて重要な評価軸です。

 渋沢栄一の『論語と算盤』に書かれている「道徳経済同一」という考え方をはじめ、二宮尊徳も「経済なき道徳は戯言であり、道徳なき経済は犯罪である」と述べています。日本では、企業は「公器」といわれていたように、倫理は常に重視されてきました。

 歴史を振り返ると、19世紀末に株式会社が制度として形成された時には「経済的な責任」「法律的な責任」だけが問われていました。しかし、資本主義が抱えていた課題が顕在化し、社会における株式会社の影響力が増すにつれて、社会の倫理的な要請に応える「倫理的な責任」も求められるようになってきたのです。ですから、取締役会も経営陣も、いま一度自分たちが背負っている幅広い責任について認識する必要があります。

 なかでも、倫理的責任の重要度は高まっています。PwCグループのStrategy&が、2000年からCEOの承継調査を毎年続けていますが、世界の上場企業2500社を対象にした2018年の同調査によると、CEOの解任理由は「倫理的不祥事」が最も多く全体の39%を占めていました。それまでは、業績不振や取締役間の紛争が上位でした。