図表3は、買った側・買われた側の経営層から、M&Aに関する説明がどの程度あったか(横軸)と、M&Aが必要だったと強く感じている社員の割合(縦軸)の関係について示したものです。買われた側の経営層からM&Aの目的やゴールについて充実した説明がなされると、説明が不十分な場合と比べて、M&Aが必要だったと強く感じている社員の割合が15.8%ポイント多くなっています。一方、買った側の経営層からは、M&A後の経営方針について充実した説明がなされることで、M&Aが必要だったと強く感じている社員の割合が17.6%ポイント多くなっています(*1)。
見失われがちな
M&Aの目的とビジョン
このように目的とビジョンの提示は、働く人々に深い影響をもたらしてしまうものです。それではなぜ、目的とビジョンが現場に説明されないまま、PMIが進められてしまうケースがあるのでしょうか。
それは、次の3つの要因が複雑に絡み合ってしまうからです。
1. M&Aプロセスは守秘性が高く、現場への情報共有が後手後手になりやすい。
2. M&Aという戦略は、経営層や経営企画など、限られたメンバーの検討によって進んでいくことから、現場に対して積極的に情報共有しようという意識が希薄化しやすい。
3. M&Aが進むなかで、気がつくと、M&Aの実行そのものが目的化してしまい、M&Aを通じて実現したかったビジョンやゴールが共有されないまま、M&A/PMIのプロセスが進んでしまう。
M&Aとは本来、経営戦略の手段の一つです。企業が既存事業の成長スピードを速めたり、新規事業に挑戦してビジネスの多角化を進めたりする際に活用されるものです。または、事業を整理し、製品・サービスの「選択と集中」を行ったりする目的でも活用されます。
しかし、「対象企業のデューデリジェンス(買収精査)を重ねるうち、実は技術優位性がそこまで高くないことがわかった。しかし、検討にかけた時間と費用を考えると、損失回避のためにM&Aを中止できなくなってしまった」など、いつのまにか当初の目的が失われ、「M&AのためのM&A」になってしまうことが珍しくありません。
一般的にM&Aを1件成立させるには、莫大な時間とコストがかかります。いったんディールに入ってしまうと、当初の想定とは異なる材料が出てきても、中止しにくくなる傾向があります。そうならないよう、本来はディールが始まる前の段階で「M&Aの目的とビジョン」を明確にしておくべきです。それが結局は、社員に対して目的とビジョンを語るときにも役立つのです。
中原淳 (なかはら じゅん)
立教大学経営学部教授。立教大学大学院経営学研究科リーダーシップ開発コース主査、立教大学経営学部リーダーシップ研究所副所長などを兼任。博士(人間科学)。1998年東京大学教育学部卒業。大阪大学大学院人間科学研究科で学び、米マサチューセッツ工科大学客員研究員、東京大学准教授などを経て現職。「大人の学びを科学する」をテーマに、企業・組織における人材開発・組織開発・リーダーシップ開発について研究している。著書に『M&A後の組織・職場づくり入門』『組織開発の探究』(共著、HRアワード2019書籍部門・最優秀賞受賞)『研修開発入門』(以上、ダイヤモンド社)、『職場学習論』『経営学習論』(以上、東京大学出版会)ほか多数。
ブログ:NAKAHARA-LAB.net