社員に最初に伝えるべき情報とは?
大部分の社員にとって最大の関心事は、「自分の会社がどうなるか」「自分の職場がどうなるか」「自分の仕事がどうなるか」「自分がどうなるか」の4点に集約されます。
この4点がはっきりしない状態では、不安が収まらず、疑心暗鬼になり、落ち着いて仕事を進めることができません。特に、自分の仕事と自分自身がどうなるかということについては、関心が強いものです。そのため、M&A直後の説明では、まずは、社員にとって最も関心が強い事柄に関して、「何が変わって、何が変わらないか」、その時点ではっきりしていることだけでも伝えることが重要です。
このとき、「メンバーの異動」「オフィス移転」「部署の再編」など、大きな変化を伴う可能性のあるネガティブな情報も、確実性が高いものであれば、合理的な理由を添えた上で伝えるようにします。ネガティブな側面も含め、積極的に情報を開示する姿勢が、信頼関係を維持することにつながります。
M&A後に組織文化の大きな違いを感じて退職されたある方は、「100日プランの提示もなく、PMIプロセスの全体感がつかめなかった。情報が錯綜して、方針も二転三転して、確認にも時間がかかり、中間管理職だった自分が現場から怒られた」と、難しい立場に置かれた経験を話してくれました。
M&A直後の慌ただしい状況のなかで、情報の確認や共有にかけられる時間は限られると思います。しかし、現場に近づくほど情報は少なくなり、社員の不安感は増していきます。必要な情報共有の一つひとつを丁寧に行うことで、社員の不安が軽減されることは間違いありません。
しかし、実際のM&Aでは、これが十分になされていません。筆者らの調査では、図表2にあるように、M&Aについて買われた側(所属企業)の経営層から自社の社員に対して説明があった割合が68.6%、買った側(実施企業)からは53.0%と、経営層からのメッセージが発信されていないケースも少なくないことがわかります。
人は、共通の目標や見通しが共有できて初めて協働することができます。異なる人々が「同じ風景=未来の会社の姿」を具体的にイメージできることは、きわめて重要なことなのです。そのためにも社員に必要な情報を過不足なく共有していく必要があります。
M&Aを何度か経験している、ある企業の担当者は「組織の出自は違いますが、見ている世界が一緒ならば、なんとかなります。M&Aにおいては、見ている世界の方向に目を向けさせるっていうのがポイントなんじゃないかな」と語っていました。ゴールイメージとして持っている「見ている世界」こそがビジョン(Vision:見ること)です。そのビジョンをいかに鮮明に共有できるかが重要です。
齊藤光弘 (さいとう みつひろ)
合同会社あまね舎/OWL:Organization Whole-beings Laboratory代表。組織開発カタリスト。企業における組織づくりや人材育成の領域で、現場支援と研究を融合させ、メンバーが持つ想いと強みを引き出すためのサポートに取り組む。組織開発や人材開発、コーチングといった手法を有機的に組み合わせながら、組織全体の変容と個の変容を結び付け、支援の実効性を高めている。M&Aのプロセスをサポートするコンサルティングファームのコンサルタント、事業承継ファンドのマネージャーを経て、東京大学大学院にて中原淳氏に師事し、組織開発・人材開発の理論と現場への応用手法を学ぶ。2020年3月まで國學院大學経済学部特任助教を務めるなど、大学でのリーダーシップ教育、アクティブラーニング型教育の企画・実施にも関わる。著書に『M&A後の組織・職場づくり入門』(ダイヤモンド社)、『人材開発研究大全』(東京大学出版会)がある。