2017年。当時まだ14歳四段だった藤井は、デビュー以来無敗で29連勝という将棋界新記録を打ち立てた。そのとき、藤井の30連勝目を止めたのが佐々木だった。最終戦で藤井―佐々木戦が組まれているのがわかったとき、大変な勝負になると予感した人は多かっただろう。

 佐々木自身は途中まで7連勝の快進撃だったものの、そこから4連敗と失速。最終戦を迎えた段階では昇級の可能性は消えていた。しかし、佐々木は全力で藤井に向かった。

「藤井さんとの対局は楽しみにしていたので、なにか新しい試みで対局に臨んだんですけど」(佐々木)

佐々木の「鬼手」しのぐ

 角換わりの戦型で、佐々木は用意の仕掛けを敢行する。意表を突かれた藤井は時間を使って考えたもののうまい対応策を見いだせず、佐々木がリードを奪った。藤井が辛抱を重ね、形勢は揺れ動いたあと、終盤で佐々木がはっきり優位に立つ場面が訪れた。藤井玉は中段に引っ張り出され、いかにも危険な形だ。そこで佐々木に銀をタダで成り捨てる「鬼手(きしゅ)」が出た。佐々木の才能がほとばしるような鮮烈な一手だった。もしこの手で佐々木が勝っていれば、将棋史に残る銀捨てとたたえられただろう。しかしそれは最善手ではなかった。佐々木の鬼手を敗着にさせたのは、藤井が正確にしのぎきったからだ。

「自分の読みの中だとけっこう厳しいのかなと思っていたんですけれど。本譜はなんか、しのがれたっていうか。こういう負け方はけっこう、珍しいかなと。勝ちかなと思った局面で負けた感じがしました」(佐々木)

 午後11時17分。90手と比較的短手数ながら、密度の濃い一局を藤井が制し、晴れて昇級を決めた。史上最年少18歳でA級に入った加藤一二三現九段(82)=引退=は「神武以来の天才」と言われた。藤井19歳でのA級入りは、それに次ぐ年少記録だ。

 藤井は棋聖、王位の二冠を防衛したあと、叡王、竜王、王将の三冠を奪取。将棋史において、21年度は藤井聡太が史上最年少五冠を達成した年と記録されるだろう。さらにはA級昇級も達成。観戦者の目には完璧にも映る1年を終えたあと、藤井は次のように語った。

「今年度はタイトル戦の番勝負の対局を多く経験することができて。いろいろ得るものもありましたし、結果も出すことができたので、その点はよかったのかなというふうに思っています。ただ、他棋戦も含めて全体として見ると、結果、内容ともにちょっと安定していないところがあったので、もっと一局一局の精度を高めていけるように取り組んでいきたいと思います」

 常に真摯(しんし)に反省を続ける。それが藤井の恐ろしさだ。

 藤井は21年度、64局戦って52勝12敗(勝率8割1分3厘)。前年度からの持ち越しで19連勝も達成。対局数、勝数、勝率、連勝の記録4部門で全棋士中トップに立っている。勝率に関しては伊藤匠新五段(19)に抜かれる可能性はあるが、他は1位が確定的だ。五冠の地位にあり、対戦する相手がほぼすべてトップクラスばかりという状況にあって、勝率8割台をキープしているのもまた恐ろしい。

 藤井はこの先も、とんでもない記録を量産し続けていくに違いない。そして記録が増えすぎてよくわからなくなった後世には、シンプルにこう思い出されるかもしれない。21年度とは、藤井が順位戦でA級昇級を決めた年であったと。(ライター・松本博文)

AERA 2022年3月28日号より抜粋

AERA dot.より転載