昨年発生した京王線車内刺傷事件でも議論になったように、事故の教訓を受けて設置されたはずの非常用ドアコックが二次被害やトラブルにつながっているのは歴史の皮肉だが、問題だったのはその存在自体ではなく、適切な使用がなされなかったことである。

 一方で乗務員の指示がなければ、つまり乗客の独断による非常用ドアコックの操作は絶対行ってはならないと言い切ることもできない。2011年にJR北海道石勝線で発生した特急列車の脱線火災事故では、車内に煙が充満しても乗務員から適切な指示がなされず、乗客が自らの判断でドアを開け、避難をしている。

 列車は全焼したが、幸い死者は出なかった。しかし、一歩遅れていたら甚大な被害が生じていた可能性もある。最終的には、自身の命が助かる可能性の高い選択肢を自分で選ぶしかない。

都市化が進んだ首都圏の
輸送力増強にも影響

 もうひとつ教訓というよりも意外な影響を及ぼしたのが、大規模な輸送力増強である。三河島事故と鶴見事故は共に、脱線した列車に別の列車が衝突する多重事故だった。そのため線路容量の限界まで列車本数を増やし、スピードアップした余裕のない過密ダイヤが事故を招いたとして、線路を増設(複々線化)してゆとりを持たせる必要があると考えられた。

 もちろん安全性向上は期待される効果の一部であり、主目的は輸送力増強による混雑緩和ではあったが、こうした環境の変化に対応すべく国鉄は、1964年から中央線、総武線、東海道線、東北線、常磐線を複々線化する「通勤五方面作戦」に着手した。

 都市化が進んだ東京近郊で大規模な線路増線工事を行えば当然、莫大な費用が必要になる。この負債が国鉄の経営悪化の一因になったともいわれるが、しかし五方面作戦がなければ、その後の首都圏の通勤輸送を担うことは不可能であった。