相撲の場合、「待った」の後の仕切りを思い浮かべる向きも多かろうが、常に仕切り直しをやっている。両者の呼吸が合えば最初の仕切りで立っても構わないから、2回目以降はすべて「仕切り直し」。回数ではなく時間に制限がある。幕内は4分、十両は3分以内。仕切りの回数もほぼ決まってきて、幕内は3~4回である。

 立ち合いは相撲のスタート。直径15尺の円内に大男二人。土俵から出るか、足の裏以外が土俵につくか、で負け。一瞬で雌雄が決することも多く。立ち合いで不利を被ると挽回は難しい。だから駆け引きは当然で、「待った」が頻繁に起こる。

 ちなみに時間制限のなかった時代は「待った」が頻出し、延々と仕切り直しを繰り返したらしい。1865(慶応元)年のある取り組みでは仕切り直し90回! 行司預かりで翌日に持ち越したそうだが、さすがに多少は尾ひれが付いているのかもしれない。

 相撲では呼吸を合わせることが肝要なのである。よくよく考えると不思議なことで、ビジネスシーンとは違って両者の利害は相反する。このことは海外のファン、特に欧米人には理解しがたいようで、戦う者同士がスタートを決めることが不思議でならないらしい。ピストルでも鳴らせってか。

 一度くらいはご愛敬だが、「待った」が繰り返されるとうんざりする。見ているこっちも立ち合いの呼吸に感情移入しているから、その気合がそがれて不愉快なのである。だから私は、両手をついて待つ潔い力士が好きだ。常に相手の呼吸に合わせる心意気がいい。

 相手に敬意を表し、呼吸を合わせる。それをできるのが一人前の力士。歩み寄りの奥ゆかしさを味わえるのも大相撲の魅力なのである。