ナンパが成功したあとの無慈悲な会話

「あー、そろそろ終電だな」
「だなー」

満足げな黒Tシャツは、ラインの画面を見ながらニヤついている。広告代理店の方は、微笑ましい顔をして黒Tシャツを見ていた。

「まあまあかわいかったな」
「な。最後の方結構ノリノリだったよな」

ナンパが成功したあとの会話というのはこういうもんなのか、と妙に感心してしまう。

「とりあえずライン送っとこ。『さっきはありがとう! よ、ろ、し、く、ね』っと」
「お前もよくやるよなー」
「まあ、いいじゃん。いい暇つぶしになったっしょ」
「まあな。こんなとこでナンパ成功させたの、俺らくらいだろうな」

あれだけ必死だったのに、現金である。現実は残酷だ。私の妄想みたいに素敵なストーリーが繰り広げられているとは限らない。きっと単に酔っ払ってたまたま隣にいた女に声をかけてみたにすぎないのだろう。

ナンパされる側というのは(許容範囲内の異性が声をかけてきた場合に限るが)、相手が思っている以上にそわそわしているし、ドキドキしている。「え~、どうしようかな」なんて嫌がったふりをしてじらしつつも、必死で自分を落とそうとしている相手の姿をもっと見ていたい、なんて下心をつい抱いてしまう……という人もいるだろう。

「お、そろそろあいつらくるって。俺らももう行こうぜ。終電だし」
「そうだな。いやー面白かったわ」

そう言いながら、男二人は、コーヒーしかのっていないトレーを持って席を立ち、出口に向かう。

黒い肩幅の狭い背中と、ピンクのガタイのいい背中が、遠ざかる。

そうだ。いつだって期待している。かわいくなりたいという欲求が強い私のような女はとくに、期待してしまう。いつだって男に女として魅力的だと思われたいのだ。「自分は話しかけられる価値がある」と思いたいのだ。だから渋谷の街を歩くとき、新宿の街を歩くとき、池袋の街を歩くとき。ちらちらとこちらを見る若い男の視線に、期待してしまうのは仕方がない。ナンパをしてきた男と付き合うか付き合わないか、LINEを教えるか教えないかというのはまた別の問題なのだ。「自分は声をかけられるほどの価値がある」と実感できること自体が重要なのだ。

それはどこにいたって同じことだ。たとえファストフード店だとしても、若い男がずいとこちらにやってきたら、「自分をナンパしたいのかも」と期待し、ドキドキしてしまうのは仕方のないことなのだ。

だから、私は悪くない。

悪くないぞ。断じて。

じわりと滲んできた悔しさの涙は無視をする。

男二人がいなくなる。遠ざかる。なんだか、私一人だけが取り残されたような気がしてくる。

リングの上にいるのは私だけになる。でも視線はもう感じない。もう勝負は終わった。勝敗はついた。

男たちの勝ち。さしずめ私は、ただのレフェリーにすぎなかったのかもしれない。

「さっきのライン教えてくれた子、なんて名前?」
「あー、チハルちゃんだって」
「へえ、かわいいじゃん」

あーあ、最後にナンパされたのいつだっけな、思い出せないな、なんて思いながら私は、無事にパリピOL女子のラインをゲットし、上機嫌で去っていく黒Tシャツと広告代理店の後ろ姿を見つめていた。

深夜のファストフード店でナンパに出くわした女が内心思っていること川代紗生(かわしろ・さき)
1992年、東京都生まれ。早稲田大学国際教養学部卒。
2014年からWEB天狼院書店で書き始めたブログ「川代ノート」が人気を得る。
「福岡天狼院」店長時代にレシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。
メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日系『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。
現在はフリーランスライターとしても活動中。
私の居場所が見つからない。』(ダイヤモンド社)がデビュー作。