河尻:その定義を広く解釈すると、「無印良品」もそこに入ってくるかもしれない。バブル前ではあるけれど、もてる者、つまりセゾングループという大企業主導で立ち上がったシンプル志向のブランドであり、生活文化的な動きでもあるという意味で。

小林:ええ。それで思い出したのが、三浦さんが『無印ニッポン』で書かれていた「消費者主権」。つまりここまでは用意します、あとはあなたご自身が自分で好きなように使ってくださいという。自分流にものをアレンジする“余白”があるということですよね。

三浦:「無印良品とは“半製品”である」というのは、『月刊アクロス』の1984年2月号の特集「無印良品徹底研究」で、すでに書いたことなんです。

 ただ、いま聞いていて思ったけど、いまの消費者は主権を求めているのかな。当時は、買う側もバブル的な豊かさを疑っていたから、無印を選んだわけでしょう? 第三の消費の時代から30年をへて、いまの消費者は無印にさえ疲れているかもしれない。反体制ブランドが一種の体制になってしまった。

小林:80年代の前半、クリア塗装しただけの無印の鉛筆が売られているのを見て、子どもながらに衝撃を受けた覚えがあります。割れ椎茸を知ったのは後になってからですが。それらは、ひとつの生活態度の表明というか、無駄な工程は省き、これまで廃棄されていたものを「これでいい」とする姿勢で、かつての無印にはそういう強いメッセージ性があったけれど、現在はその劇薬性というのは相対的な意味でもだいぶ薄まってますね。

三浦:話はちょっと変わるけど、自分の部屋をリノベしたとき、最初は無印とか禅的な部屋をある程度イメージしていたのね。ほとんどモノを置かないような。ところが、結局暮らしているうちにどんどん本やものがあふれて、ごちゃごちゃしてきた。拾ってきたものもありますから。でもね、いま、最高に快適なんです。そのごちゃごちゃ感が(笑)。

マーケティング・アナリストの三浦展さんマーケティング・アナリストの三浦展さん