同調圧力による社会の空気
マスコミも不安に怯える国民を「叱責」

 この時代、「防空法」という法律があり、戦局が厳しくなるにつれて改正されていくのだが、そこで一貫しているのが「都市部から逃げてはならない」「空襲で家屋が燃えたら防空壕から出て、隣組で協力をして消火活動をせよ」というものだ。

 この法律についてまとめている労作「検証 防空法・空襲下で禁じられた避難」(法律文化社)を読めば、当時のマジメな日本国民が、「人命軽視」も甚だしいこの悪法に従わざるを得なかった理由もわかる。

 <都市からの退去禁止(八条ノ三)に違反した場合、「六月以下ノ懲役又ハ五百円以下ノ罰金二処ス」と規定されていた(防空法一九条ノ二第二号)。(中略)実際にこの条項により処罰された例は少ないと思われるが、単なる努力義務ではなく罰則を伴う禁止規定とされたこと自体が、都市の住民に対して強い威嚇効果をもたらす>(同書、P.67)

 この威嚇効果はちょっと前の「マスク警察」を思い浮かべていただければわかりやすい。何の法律的な根拠も罰則もない「お願い」であるにもかかわらず、同調圧力が起きて、マスクをしていない人間は厳しくバッシングする人々が大量にあらわれた。法律で罰則規定があるということは、あれをはるかに上まわる「空襲から逃げるな」という同調圧力が社会にまん延してたいたということだ。

 しかも、同じ時期に制定された戦時刑事特別法(10条1項)では、「防空ノ妨害」をした者は死刑・無期懲役と定められた。「みんな!空襲が来るから逃げようぜ」なんて隣近所に呼びかけたら死罪になっていたのだ。

 この同調圧力をさらに悪化させたのが、マスコミだ。マスクやコロナパニック(トイレットペーパーが街から消えるなど混乱が起きた)の時も、マスコミ報道が人々の不安をあおったことがわかっているが、77年前も同じことが起きている。

 例えば、「大阪毎日新聞」は「防空指導方針」を引き合いに、空襲の脅威に怯える国民はこのように叱責した。

 「勝手に防空壕を掘るな 避難、退去は一切許さぬ」(大阪毎日新聞1941年10月2日)