頭のいい人は、「遅く考える」。遅く考える人は、自身の思考そのものに注意を払い、丁寧に思考を進めている。間違える可能性を減らし、より良いアイデアを生む想像力や、創造性を発揮できるのだ。この、意識的にゆっくり考えることを「遅考」(ちこう)と呼び、それを使いこなす方法を紹介する『遅考術――じっくりトコトン考え抜くための「10のレッスン」』が発刊された。
この本では、52の問題と対話形式で思考力を鍛えなおし、じっくり深く考えるための「考える型」が身につけられる。「深くじっくり考えられない」「いつまでも、同じことばかり考え続けてしまう」という悩みを解決するために生まれた本書。この連載では、その内容の一部や、著者の植原亮氏の書き下ろし記事を紹介します。

遅考術Photo: Adobe Stock

1年間で1500人ものアメリカ人が命を落としたワケ

 以前の連載で「利用可能性バイアス」の話をした。

 これは、記憶から呼び出しやすい事柄のことを発生件数が大きく、実際に起こる確率が高いと捉えてしまう思考の傾向のことだ。

 我々は、容易に手に入るものしか検討しない傾向があり、たとえ他の情報があったとしても、すでに手元にあるものに偏重してしまうのだ。

 今回は、「リスク」にまつわる利用可能性バイアスの興味深い例を取り上げていく。

 一般にリスクが関わる場面では思考にエラーが起こりやすくなるので、システム2をきちんと働かせて熟慮する必要がある、という例でもある。

 2001年9月11日、米国で同時多発テロ事件が起こった。4機の飛行機がハイジャックされ、1機はペンタゴンに、2機は世界貿易センタービルに突入し(残り1機は野原に墜落)、多くの犠牲者を出した。崩壊していく世界貿易センタービルの映像も、きわめてショッキングなものであった。

 この事件の経験は、多くのアメリカ人の行動を変えることになった。

 そのうちの一つが出張の際にどの乗り物を使うかである。事件後、それまでの飛行機をやめて、代わりに自動車で出張する人が増加したのだ。

 これは、飛行機が用いられた同時多発テロ事件の生々しく恐ろしい記憶からすれば、当然の反応だったと言えるかもしれない。

 しかしながら、米国においては、自動車の方が飛行機よりも死亡リスクがおよそ22倍高いのである。

 そのため、推定値によると、テロ後の1年間で、飛行機による死亡を避けようとした1500人のアメリカ人が自動車事故で死亡することとなった。(※1)

利用可能性バイアスの罠

 確かに、ハイジャックや飛行機テロが起こったあとは、飛行機には乗りたくないと思ってしまう。しかし、実際には自動車のリスクの方が高かったわけだ。

 ここに「利用可能性バイアス」がある。「利用可能性」というのは“availability”の訳語である。

 少し硬いので、ラフに「手に入りやすい」とか「入手が簡単」とか「手元にもうある」といったことだと読み替えてもらった方がいいだろう。

 これは、ネットを使って調べ物をするときに、検索して最初の方に出てきたサイトしか見ないようなものだ。一番上にきているからといって、それだけを信用すると間違うこともある。

 普通なら、完全ではないけれども、単純で迅速な方法として役立ってくれる。検索結果でトップに出てくるものは、通常は信頼できることが多いからだ。

 人間の記憶もだいたいは問題のないものを呼び出してくれるから、日常的には役立ってくれる。たとえば「ドイツの首都は?」と聞かれた場合のことを考えてみてほしい。

 しかし、さっきのテロと飛行機の話では、それがバイアスとなってしまっている。ショッキングな事件や出来事が起こると、それに関連する事柄の利用可能性が一時的に高まるからだ。

 同時多発テロ事件のあとでは、飛行機関連のテロやハイジャックがしばらくは記憶から呼び出されやすくなっていたというわけだ。

大事件の後には、とくに注意が必要

 とくに、社会的に注目される大事件はメディアで繰り返し取り上げられる。忘れようにも、何度も目にすることになる。

 認知科学者のピンカーも2022年に邦訳が出た『人はどこまで合理的か』という本の中で「報道機関が『利用可能性』を生み出す機械だ(※2)」と述べている。これは、人間が引き起こした事件だけでなく、自然災害にも当てはまる。

「リスク」について考えなければならないときは、利用可能性バイアスの影響を受けていないか、じっくり考えるクセをつけてほしい。

(※1)Gigerenzer, G.(2006). Out of the frying pan into the fire: Behavioral reactions to terrorist attacks. Risk

Analysis, 26の例にもとづく。
(※2)スティーブン・ピンカー『人はどこまで合理的か 上』、橘明美訳、草思社、2022年、205頁。

(本稿は、植原亮著『遅考術――じっくりトコトン考え抜くための10のレッスン』を再構成したものです)

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遅考術』には、情報を正しく認識し、答えを出すために必要な「ゆっくり考える」技術がつまっています。ぜひチェックしてみてください。

植原 亮(うえはら・りょう)

1978年埼玉県に生まれる。2008年東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術、2011年)。現在、関西大学総合情報学部教授。専門は科学哲学だが、理論的な考察だけでなく、それを応用した教育実践や著述活動にも積極的に取り組んでいる。
主な著書に『思考力改善ドリル』(勁草書房、2020年)、『自然主義入門』(勁草書房、2017年)、『実在論と知識の自然化』(勁草書房、2013年)、『生命倫理と医療倫理 第3版』(共著、金芳堂、2014年)、『道徳の神経哲学』(共著、新曜社、2012年)、『脳神経科学リテラシー』(共著、勁草書房、2010年)、『脳神経倫理学の展望』(共著、勁草書房、2008年)など。訳書にT・クレイン『心の哲学』(勁草書房、2010年)、P・S・チャーチランド『脳がつくる倫理』(共訳、化学同人、2013年)などがある。