米国籍を選択して兵役を逃れたスターは、韓国から追放された

 芸能人の兵役問題が話題となる度に、思い出される人物がいる。

 ユ・スンジュンという、90年代末期の韓国に彗星のように現れてまたたく間にスターになった歌手である。1997年にデビュー、当時まだ韓国では珍しかったダンスとラップによるダイナミックなパフォーマンスで、人気に火がついた。

 1976年にソウルで生まれた彼は、中学1年生まで韓国で過ごし、家族で米国に移民した。「歌手になりたい」という夢をかなえるため、オーディションへの挑戦を続けたが、なかなかチャンスをつかめずにいた。しかし、ある韓国の芸能事務所に自分の歌とダンスのビデオを送ったところ、これが目に留まり、韓国でのデビューが決まる。前述の通り、ヒット曲を連発しトップスターとなった。

 兵役が話題に上るようになった頃、彼は「兵役の義務を果たす」と明言していた。しかし2002年、当時26歳だった彼は、入隊前に仕事を理由に米国に出国し、さらに突然、韓国籍を放棄して米国籍を選択した。これが、ファンをはじめとする国民には「裏切り」「韓国への侮辱」として受け止められ、世論は今で言う炎上状態となった。

 これにより、彼は韓国での芸能活動を全面的に中断せざるを得なくなった。さらに韓国政府は、彼の入国を禁じると表明。つまり、国と国民から「兵役逃れ」の烙印(らくいん)を押されたのである。

 その後、ユ・スンジュンは中国を中心に活動を続けながら「国民の許しを得て、再び韓国で活動したい」という胸の内を、メディアとのインタビューなどでたびたび明かしていたが、韓国で活動するためのビザの発給が認められず、いまだに韓国に入国できないでいる。

 このビザ発給と韓国入国拒否をめぐって、ユ・スンジュンはビザ発給を管轄する在ロサンジェルス韓国総領事館を相手に、韓国の法院(裁判所)に訴えを起こした。今年の4月、法院は領事館側の措置は「適正」とする判断を下し、「(当時韓国で活動し、韓国籍を有しながら)国民としての責任を果たすための努力を怠った」という指摘も加えた。

 この騒動と政府の対応は、兵役逃れに対する「見せしめ」になったと言える。その後、在米韓国人の芸能人がこぞって米国籍や市民権を放棄し、兵役に行くようになったのは言うまでもない。

 また、ユ・スンジュンのような兵役対象年齢の二重国籍者が韓国籍を放棄して兵役から逃れるのを防ぐため、二重国籍の男子は18歳までに韓国籍を離脱しなければ兵役義務が適用される、韓国での兵役を終えていることを条件に二重国籍を認める、という法改正もされた。