このようなことが起こると、優勝した選手に対する同情論が出る。「優勝しても代表になれないのでは、何を目標に練習したらいいのか」、「選手が可哀そうだ」、「すっきりと決着がつく一発勝負にしろ」と。

 だが、選考の現場を見ると、すべての競技が一発勝負で決められる環境にあるとはいいきれない。

 数ある競技の中で最も底辺が広いのが水泳だ。日本では水泳は子供の習いごとのベスト3に入る。「泳ぎくらいは身につけてほしい」という親の思いがあるからで、大半は泳げるようになっただけで辞めるが、キラリと光る水泳センスを見せる子がいれば、コーチが目をつけ手塩にかけて育てる。自然な形で幼児期の才能発掘が行われているのである。練習は厳しいが、子供も勝てばうれしく、だんだんと選手としての自覚も芽生えていく。中学、高校へ進学しても練習はスイミングクラブ中心。一貫した指導体制の中で育ち、その中で勝ち残った精鋭がトップに上り詰める。だから層が厚い。一発勝負で複数の中から世界に通用する選手を選ぶことができるのである。

 しかし、他の競技は違う。競技を始めるのは親が元選手といった理由が多く、数が限られる。中学、高校は部活での練習が中心。進学するたびに指導者が変わり、指導法の違いに悩むことも多い。その狭い底辺と限られた環境から育ったごく一部の選手がトップになるのだ。世界で戦える選手は当然少なく、代わりもいない。ガチンコの一発勝負で決めるなんて贅沢なことができる状況ではない。

 一発勝負による選手選考は理想である。それができる水泳は数ある競技の中でも最高の選手育成環境を持っているといえる。

 その水泳にしても、千葉すずが問題提議をしたことで選考基準が明確化された。他の競技でも選考方法に対する議論が起きるのは悪いことではない。だが、それができるかどうか、競技が置かれている背景も知っておく必要はある。