なぜ、当たり前の計算が
できなかったのか
社長である僕は最終面接だけ入ることになり、書類選考から複数回の面接は、ほかのメンバーに委ねました。するとここで、思わぬことが起こったのです。
採用選考にアサインされたメンバーがめちゃくちゃ頑張ったのです。
現代の日本では、頑張ることは良いことだと思われていますよね。僕も、頑張りどころを選ぶ必要はあると思うものの、総論としては頑張ることは大切だと思っています。
でも、メンバーが頑張ったことで、ある事実が覆い隠されました。
当初の予想と比べて、5~10倍の応募があったわけです。それなのに、当初の計画を変えずに採用活動を進めていけば、何が起こるでしょうか。そう、採用活動に割く時間も5~10倍に跳ね上がることになります。
当たり前のことなのに、僕も含めてCOTENのメンバーはほとんど誰も、その事実を重要視しませんでした。気合いと根性があれば、予想の5~10倍に膨れあがった採用活動を進められるだろうと、漠然と考えていたのです。
当然ですが、採用活動に携わるメンバーは、ほかの業務に手が回らなくなりました。
僕たちは、歴史からちゃんと
学べているのだろうか?
COTENの採用活動で起こっている大変な惨事は、そのまま日露戦争での日本軍の失敗と同じ構造なのではないか――。
あるとき、こんな天啓が降りてきました。
日露戦争当時の日本は、ロシアという大国に対して強い危機感を持っていました。一方のCOTENはと言えば、予想できないようなすばらしい応募者たちの顔ぶれを前に、「一人たりとも優秀な人材を取り逃したくない」という焦りにも似た危機感を抱くようになったのです。
日露戦争当時の日本軍もCOTENも、作戦が開始する前には、きちんと準備をしていました。しかし、実際に物事が動き始めると、当初の作戦通りにはいきません。しかしここで、当時の日本軍も僕たちCOTENのメンバーも、立ち止まって考え直すということをしませんでした。一度ストップし、状況の本質を見極めるのではなく、ただただ「頑張る」ことで、目の前の課題を乗り越えようとしたのです。
両方とも共通しているのは次のポイントです。
何か予想外のことが起こったとき、一旦立ち止まって、ゼロベースで戦略を見直す必要があるのにそれをせず、ただただ「頑張り」だけで何とかしようとする――。
日露戦争とCOTENの採用活動は、時代もテーマも規模もまったく異なる出来事です。そこには1ミリも共通は、見出せません。しかし、そこで起こった出来事やその問題を生みだした構造には実は大きな共通点があったのです。そして、それこそが歴史から学ぶ、ということなのです。
今回書いた少ない情報からは、日露戦争とCOTENの採用活動にどんな共通点があるのか、十分には理解できなかったかもしれません。そこで次回は、具体的に日露戦争とCOTENの採用活動について、一体そこで何が起こったのか、詳しく掘り下げていきましょう。(毎週金曜に記事を配信します)