膨大な歴史情報をデータベース化して、人類にとって意味あるものとして活用する。そんな壮大な取り組みで注目を集めているのが、株式会社COTEN代表取締役の深井龍之介氏だ。COTENが配信する「歴史を面白く学ぶコテンラジオ(COTEN RADIO)」は、「JAPAN PODCAST AWARDS2019」で大賞とSpotify賞をダブル受賞、Apple Podcastランキングでも1位を獲得した。
「当たり前」や「常識」が変化して、生き方や働き方の選択肢が多様化した時代に答え探しをしても、悩みはますます深まるばかり。そこで深井氏は、歴史を知り、自分を俯瞰することによって物事の本質を考える「メタ認知」を提唱している。初の著書『世界史を俯瞰して、思い込みから自分を解放する 歴史思考』では、偉人たちの知られざるエピソードを通して、メタ認知の練習を重ねていく。そこで本書の発売にあたり深井氏に、歴史思考によって狭い価値観から解放されるメリットについて聞いた。(取材・構成/樺山美夏、撮影/竹井俊晴)
偉人だからといって、後世に
良い影響だけを残すわけではない
――『歴史思考』を読んで意外だったのは、偉人や成功者とされている人たちにも、ダメな面や知られざる苦労があったという点です。
深井龍之介(以下、深井) そうですね。『歴史思考』に登場するガンディやカーネル・サンダースの場合、有名になるまでの半生は意外と知られていないかもしれません。ガンディがパッとしない学生時代を送ったことや、サンダースが人生で3度も破産したというエピソードを知れば、偉人のイメージも変わっていくでしょう。
偉人とされている人たちにもダメな面はあった。ただ、それで彼らの偉業が否定されるわけでもありません。人にはいろいろな側面があって、簡単に「良い/悪い」とは判断できない。それを伝えたいと思いました。
――「評価」は時代によって変わるものだということも書かれていましたね。
深井 大人になって、仕事に就いて、結婚して、家やクルマを買って、子どもを育てて……。そういうことは、ひと昔前までなら、誰にとっても当たり前のこととされていました。でも、今では当たり前ではなくなっていますよね。一生結婚しない人もいるし、賃貸住宅に住み続ける人だっている。子どもを持つか持たないかも自分たちが選択することができる。
ひと昔前の当たり前だって、今はそうじゃなくなっている。社会の価値観って、コロコロ変わるものなんです。人に対する評価もそうで、ある時代では持ち上げられた偉人が、別の時代では非難されたりすることもあります。一つのある現象が、短いスパンで見れば良い結果を引き起こしているように見えるけれど、長いスパンで見れば悪い結果を起こしているように見えることだってあります。
『歴史思考』でも触れていますが、例えば中国は、始皇帝の秦の時代に中央集権的な政府をつくることに成功しました。この中央集権的な支配体制は、中国の長い歴史の中で国の発展を支え続けました。しかし同時に、この体制によって市場経済や科学技術の発展は妨げられてしまった。結果、帝国主義の時代に、中国は欧米列強に対して弱い立場になってしまったのです。
ある現象の影響が良いものだったか、悪いものだったかというのは、それをどの一面から切り取るかによって変わるわけです。だからこそ、自分の視点を相対化して、メタ認知する教養が大切なのです。
何も成し遂げなくたって
存在が、社会に影響を与えている
――ガンディもサンダースも、うだつが上がらない半生を過ごしたかもしれませんが、最後には大きな成果を残しました。あきらめず、成功を目指して努力することが大事、ということでしょうか。
深井 今の社会では、何かの目標を立てて、それに向かって努力していくことが大切だとされています。でも、歴史を見ると、何か大きな結果を出すことだけが、社会に影響を与えるとは限らないんだと分かってきます。
『歴史思考』では、アン・サリヴァンを取り上げました。三重苦のヘレン・ケラーの家庭教師として有名な人物です。日本では、ヘレン・ケラーのことを指して「奇跡の人」と評するのだろうと思っている人も多いかもしれません。しかし、元々は、目や耳が不自由なヘレン・ケラーに言葉とコミュニケーションを教えたアン・サリヴァンのことを指して「ミラクル・ワーカー(奇跡の人)」と呼んでいたんです。
ただ、よくよく調べてみると、アン・サリヴァンがたった一人でヘレン・ケラーへの学習方法を発見したわけではなく、ある人物から障がい児への教育法を学んでいたことが分かっています。その人物は、ヘレン・ケラーのように目も耳も不自由ななか、手話を学んでいたそうです。家族から疎まれていたその人物に簡単な手話を教えたのは、知的障がいのある使用人でした。そして、一説によると、その使用人に手話を教えたのは、ネイティブ・アメリカンだったとされています。
ヘレン・ケラーが目や耳が不自由な中から最高峰の教育を修めたという事実を、僕たちは大きな成果だと思っています。無論、それは、ヘレン・ケラーが成し遂げた成果ではあるでしょう。ただ、彼女が「偉人」となった背景には、ヘレン・ケラーやアン・サリヴァンだけでなく、彼女たちにつながる無数の善意の人々がいたことが分かります。
この無数の善意の人々は、歴史に名前が残っていません。偉大な人物とも、思われていません。しかし、彼らの存在がなければ、ヘレン・ケラーは偉人になれなかった。つまり、目を見張るような偉大な成果を残さなくても、そこに彼らが存在したということが、後世にまで大きな影響を与えているわけです。
――何かの目標に向かって努力を重ねるよりも存在していることに意味があると?
深井 意味があるか、意味がないのか、それは僕には分かりません。判断できないんです。
歴史という時間の流れを考慮すると、短期的なスパンで評価することが、あまり価値を持たなくなっていきます。目の前の挑戦がうまくいかないからといって落ち込む必要もないし、逆にちょっと成功してチヤホヤされても調子に乗らない方がいい。小さいことに一喜一憂するより、自分が本当にやりたいこと、エネルギーが湧くことを粛々と続けていくことの方がずっと大事です。価値や評価なんて、誰がどこで、どう決めるか分からないわけですから。
例えば、現代では、ニートの存在は社会問題とされています。僕は、そのこと自体を否定も肯定もするつもりはありません。もちろん、家族の中に、働いたり、勉強したりせず、家に引きこもっている人がいれば心配はするでしょう。マクロな視点で見れば、生産人口に属する人が働かなくなれば、生産量も落ちるし、GDP(国内総生産)を伸ばすという観点からは、確実にマイナスでもあります。
でも、ニートという存在がいるからこそ、周りの人たちはそれに反応するわけです。ニートという存在をまったく無視したまま世界が回っているわけではありません。家族の誰かがニートになれば、家族は本人に対して怒ったり、悲しんだりするのかもしれません。社会の中でニートの存在が問題になれば、彼らが社会復帰しやすいように資格取得や勉強のサポートをするなど、何らかの対策が取られるかもしれません。つまり、ニートが存在することが、すでに周りに影響を与えているのです。
そして先ほど触れたように、その影響がいいものなのか、悪いものなのかは、短期的には誰にも分かりません。10年、50年というスパンでも分からないかもしれません。ひょっとすると、500年後には、ニートが存在することの影響力が、孫正義やジェフ・ベソス、イーロン・マスクの影響力よりも大きくなっているかもしれないのです。